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私のヴォーカル列伝 ~Vol.12 レイジー~

 年明けから、休日はしっかり休み、睡眠もそこそこ取ってるのだが…。
体調が悪い。。まぁ仕事も、歌の練習も、曲創りもやれてるのだが…、
睡眠中の噛み締めがひどいせいか、寝る姿勢が悪いのか、首筋のコリと痛みと頭痛で目を覚ます。日中も妙なだるさと空腹感の無さ…。運動不足かな??と思い、少し身体を動かそうともしたが、、
私と名前の似ているエレファントカシマシの宮本浩次氏が、以前、急性感音難聴を患った時に無理をして疲れた身体を、“体力の衰え”と感じ、身体を鍛えようとして、さらに悪化させてしまったという話を思い出した。。
ちょっとケアも考えねばならんかな。。。

さて、今回はヴォーカル列伝というより、バンドそのものなのだが…。
レイジー全盛時代はほとんど知らなくて、「赤頭巾ちゃんご用心」を歌っていたアイドルバンドという認識しかなかった。ある日、キダタローがこう語っているのを聞いた。
ステージ横でこのバンドを見て、派手な軍服みたいなの着ていて、「世が世なら捕まるで…」と笑っていたら、メンバーが後から駆け寄って来たので、悪口を言ったのが、バレたと焦ったら、、、
アマチュア時代にラジオ番組ヤングリクエスト内のキダタローの「ミキサー完備のスタジオ貸します」のコーナーへ出演し、(※この番組は私も聞いていたが、「ミスター寛美のスタジオ貸します」と思っていた。)
そこでアドバイスをもらった事を糧にプロになれたという感謝を言いに来たのであった。
キダタローがそのエピソードを話したあと、「いいバンドです!」と笑って言っていた。

1977年デビュー、1981年に解散。
私がその楽曲自体を知ったのは、メンバーのうち、ギターの高崎晃、ドラムの樋口宗孝、(当初はベース田中宏幸も)が解散後、結成したラウドネスの方がむしろ先だった。
レイジーがそれまで無理やり演らされていたアイドル路線から脱却宣言したアルバムタイトル曲がこれ!


しかし、このアルバムが実質ラストアルバムとなり、メンバーはそれぞれの道へ。
ラウドネスは、世界のラウドネスとなり、キーボードの井上俊次、ベース田中宏幸はポップス路線のネバーランドを結成、音源はもう手元にないが、なかなかのクオリティの楽曲だった。。そしてヴォーカル影山ヒロノブは、アニソン界のプリンスと呼ばれるようになり、『ドラゴンボールZ』のオープニング曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」で170万枚のセールスを記録した。


「宇宙船地球号」の収録曲である「Dreamer」は、メンバーの決意表明であったのだなぁと思う。
非常に残念ながら、2006年に田中宏幸(享年46歳)、2008年樋口宗孝(享年49歳)が死去。
レイジーにしても、ラウドネスにしても、オリジナルメンバーが揃うことは無くなった。

ところで、私が大学入学間もない19歳の時、帯状疱疹で入院することになったが、ラウドネスのライブのチケットを買っており、無理やり退院。ずっと寝てたので友人に支えられながらフラフラの状態で会場へ。
序盤は、スタンディングもできない状態、、ドラムソロのベードラが腹に堪えた。
ところが、後半は何故か徐々に元気になり、完全復調、、そのまま全快した。。ラウドネスが効いたのだ。。
今の体調不良、、ラウドネス注入でどうか???(宮本)

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