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体罰と理不尽 -後半-

明日から、積み残してあふれるのが必至の仕事を何とか、少しでも進めようとしたが、眼が限界になった。。ちと寝不足が過ぎるなぁ。。

 さて、力を振り絞って、昨日の続き…。
世の中には、二種類の人がいる。
自分が下の時に受けた理不尽な仕打ちを、上の立場になった時に繰り返す人と、嫌だと思った事は、しないようにする人だ。

上司乱心.jpgまだ私が24歳の頃、短期間プロジェクトで本社にいた後、店舗に戻る事になった時に同時にそこに店長として来る人は社内イチ厳しく理不尽と言われている人だった。
周囲の先輩社員から、私は「社内イチ上司運のない男」と呼ばれた。
赴任すると、前任の店長が、残していった稼動計画表には、店長と私の名前の変わりに、“悪魔”“奴隷”と書かれていた。

 その修羅場はまたネタの切れた時に書くとして、その人の下に2度に渡り、計3年仕えた。先輩社員に、それを耐えた私は「石の上にも3年、○○の下にも3年」と言われるようになった。。

 その人は、自分が最も賢く、正しいと思っているタイプで、人の言うことは信用しないし、聞く耳も持たなかった。最初の頃は、ゴタゴタしたが、次第に「本当はこの方がいいのに…」と思っても、それは自分がその立場になった時にやればいいと思うようになり、淡々とNo2に徹し、実務をこなした。
教育係として、後輩社員、アルバイトの叱責は、多くは私ひとりが受けた。

 私の後輩もアルバイトも萎縮しているので、誰も何も言えない雰囲気だ。
確かにチームは引き締まっているが、その人以上のレベルにはなりようがない。

 やがて、私が後をついだ。誰もが自由に意見が言え、力を発揮できるチームにしたかった。
私は決して“できるタイプ”ではなかったが、後輩も私の弱点は知っていて、それをカバーして助けてくれたし、間違っている時は、言ってくれた。(…と思っている。。。)
店の成績も逆境の中、ガンガン上がった。部下も昇進したり、表彰されたりした。
だから、「情けは人のためならず」。私自身の力になったと思ってはいる。

 しかし、それぞれが転勤になり。環境が変わった時に、部下たちは、その会社に長くは勤務しなかった。
私の中で、自分がもっと、厳しく接していた方がよかったのではないかというのが、以来ずっと私の心に引っ掛かっている。

だから、今回の指導者の体罰問題が心に触れたのは、自分自身が指導する立場にあった時は、むしろ、これらのタイプの人とは対極にある側であったものの、今までは全否定できない思いもあったからだ。

確かに体罰の内容もひどいようだが、多くの場合、体罰自体よりも「どうして、自分が、殴られなければならないのか?」という理不尽への精神的な苦痛が大きかったのでは…。
こうなっては、いろんな人の可能性をつぶしてしまい、誰も幸福にはなれない。

 人を指導する事は難しいし、根気がいる。しかし、指導者は、まず適切な指導、指示ができているかを自省する必要がある。体罰や頭ごなしの理詰めで、やり込めて叱ったところで、部下や生徒が納得、理解できてなければ、その場はそれで済んでも、あとには不信感や恨みが残るだけだ。 
今の結論としては、若い人へは、「良き出会いを!」
そして指導者が目標とするべきは、「可以託六尺之孤」であると思う。(宮本)

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