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科学は正しいという迷信



今日は冒頭から何ですが、私の大好きな曲、ASKAの「晴天を褒めるなら夕暮れを待て」。
その中で「科学は正しいという迷信の風で育った」という一節があります。

抽象的な表現ではあるけど、なんか私たちの世代の感覚という気がする。
高熱が出れば、布団にくるまり、汗をバーとかいて解熱。
ウサギ跳びで足腰を鍛える。何なら、神社の階段を昇ったり、鉄下駄を履いて行い、根性も鍛える。
練習中の水分補給はバテるから厳禁などなど…。
あの常識は何だったのか?? その時の後遺症で膝が古傷になってしまった。。。
そう科学も変わるのだ。。

ところで、前も書いたが、若いころ、自己啓発のセミナーとか、その類の本とか良く読んだ。
ある時期から、読まなくなり、少々嫌悪さえ感じるようになった。
書き手の概念が、万人に当てはまるとは到底思えない。
そもそも、何年もいっしょに働いた人でさえ、私のことを理解しているとは思えないのに見ず知らずの作者にあれこれ言われても…という思い。
多くは、別に目新しいことが書いてあるわけではない、、「ごもっとも」なことが書いてある。
そして、ご多分にもれず、「それができりゃ苦労せんわ」ということ。

そもそも、決定的になったのが、以前、働いていた時、ある人が読んだ本を「読め」と回ってくることがよくあった。
ありがたい話だが、重要なこと、共感したことにラインが引いてある。
しかし、その人に不足していること、受け入れるべきことと私から見れば思えることには、一切、ラインはなく、おそらく周囲が、「そうするべき」と本人が、ジレンマを感じていることに「我が意を得たり」と言わんばかりにラインが引かれている。
これでは本人が得るものは何もない。
「俺は正しいのに、周囲がバカだからうまくいかないのだ!」と安心するだけ、百害あって一利なし、時間の無駄だ。
その人が、どうというのではなく、、私自身もそのように読んでしまうバカだと気づいたからだ。
私が間違っていた、、改心しなければ、、などと、この類のものを読んで思ったことは一度もない。
本で読んだ知識で、最前線に立つものにモノを申すなど、迷惑千万、“害”でしかない。
科学的に元気になる方法だが、しかし、面白い本があった。オススメです。
“科学”という言葉を持ち出されると、弱い。なんか、信じたい気持ちになる。
いくつか面白いエピソードがあったが、音楽活動にも参考になることが書いてあった。

そのうちの1つが、脳と身体の関係では、「やり始めなければ、集中できないようになっている。」
脳にある側坐核という部分がやる気スイッチになっていて、一度作業をやり始めると、このスイッチが入る。
たしかに、歌の練習も、曲作りも、作業を始めるのが億劫で腰が重いが、やり始めると、結構頑張れる。

脳を活性化させようと、通勤の電車で、音楽を聴き、同時に本を読む、左右の脳を活性化!と思っていたが…。
脳の血流が、何も行動していない時の方が、使っていない部位にもいきわたるため、
ぼーっとすることで、使っていない部位を元気にできる。
ぼーっとしているときのほうが脳はエネルギーを15倍使っていて、記憶に関する部位や価値判断に関する部位が活発に働いていた。
気を抜いてリラックスしている時の方がアイデアが出ることがある。…と書いてあった。

寝起きで夢うつつの時とか、風呂に入っている時に曲のアイデアが出るのは幻ではなかったのだ。
それはぼっーとしているから、意外に脳が活性化されていたのだ。

しかし、このぼっーとしている時に出て来たアイデアを、どう頑張って、やり始め、作品化する「やる気スイッチ」を入れるか…。
それが問題だ…。そこのところ科学的に教えて欲しい。。。(宮本)

コメント
[1] WarrenPak | 2020/07/31 14:18
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