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第86回センバツ総括と行進曲

DSC_0049.jpg明日の誕生日で50歳になる宮本です。
40代最後の日は、朝も散歩、昼も妻子を伴い同じコースを花見がてら散歩。
上の写真は川沿いの散歩道、ここからしばらく桜のトンネルがつづくのだが、最近、その先にさらに下の写真のような道があるのを発見した。毎朝、良い花見ができる。


DSC_0054.pngところでセンバツも終わると、妙に寂しくなった。
大阪桐蔭以外は初戦敗退し、2回戦ですべて消えた昨年と違い、今年は近畿勢は大健闘だった。
私のベスト4予測(履正社、龍谷大平安、沖縄尚学、明徳義塾)の4校がすべてベスト8入り、龍谷大平安が優勝、履正社は準優勝だから、まずまずの結果だ。
ただ、豊川、桐生一高の健闘が読めなかったのが反省点。この2校に上位を予想したチームが敗れた部分が予想外となった。
“春”ということもあるが、全体的には小粒な印象を受けたが、良い試合が多かった。
それと継投が多かった気がする。昨今、1人のエースが投げ抜くスタイルは減りつつあるが、今年ビックリしたのが、甲子園のみならず、秋の大会など公式戦で投げたことのない投手も中継ぎばかりか、先発に起用されたりするチームが、見受けられた。しかもその選手が大舞台で結果を出しているのは驚きだ。
選手層の厚さもすごいが、最近の若者は、度胸が据わってるなぁ。。。

浪人の身なので、ほぼ全試合に、開会式と閉会式まで観てしまったが…。
センバツの行進曲はヒット曲をマーチにアレンジされるのだが、これを第34回~58回までの25年にわたりこのアレンジを手掛けておられたのが、故辻井市太郎先生だ。センバツというと辻井先生を思い浮かべる。
辻井先生は、この4月から橋元市政により、一般社団法人となる大阪市音楽団の団長を1947年~1978年務められているが、川西市吹奏楽団の創設にも尽力された方である。
中学時代の吹奏楽部の顧問の先生が、そこに所属していたコネもあったのだろうが、夏のコンクール前に吹奏楽部が辻井先生に練習をみてもうらうことになった。

…といっても、1、2時間のことであったと思う。
特にガッツリと指導を受けるというものでもなかったが、温厚な方というイメージが記憶に残っている。
ちなみに私はトロンボーンを吹いていたが、下手くそだった。吹奏楽部にも各楽器で、1st、2nd、3rdというパートがある。
私は3年間、2ndだった。野球なら2ndが一番守備が上手そうなものだが、ここでは1stが主旋律を吹く、2ndは盛り上がりでは、ユニゾンでガンガンいくときもあるが、下ハモだったり、リズムだったり、ギターでいえばサイドギターの役割。逆に3rdの方が、別のメロディだったり、ベースラインぽいことをしてたり、面白いパートな気がする。

で、上手い人はみんなちょっと褒められたいとか思っているところ、辻井先生が、演奏が止まった時に、「えーと、トロンボーンの2ndの人…」、みんなが一斉に私の方を見た、「何でこいつ?」という目あり、ちょっとした嫉妬の視線あり…。 が、先生はつづけて、「…もう少し、音抑えて。。」
 みんなの視線が安堵とともに離れた。。しかし、辻井先生に一応、声を掛けられたということに自分の中では思っている。下手くそなのに、思いっ切り吹いてたなぁ。。。

明日、スタジオ練習なのだが…、今日の個人練習、喉の調子が最悪のまま戻ってこない。 ちょっと声帯自体、腫れぼったい感じがする。
何とか一気に治す方法はないものか??(宮本)

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