1/17(金)の夜、われわれTRICKHOUSEは、2025年のスタジオ練習を開始しました!!
2/9(日)には、“アウェイ上等コバンザメバンド”の我々のいまやホームグラウンドともいえる谷六PageOneでのLIVEを控えている。
練習しつつ、ようやくセットリストも決まった。。
そこから遡ること、17時間前、、
1/17(金)の朝、出勤日は6時過ぎに起床するが、それより早く、ふと目を覚まし、スマホの時計を見ると5:47だった。
30年前の5:46。。何か心に引っ掛かっていたのかもしれない。
なので、大きな被害を受けた方たちに較べると、語ることは軽すぎるが、、少しだけ“あの日”のことを書いてみます。
今の自宅だが、1993年の11月に同じ川西市から新築で両親とともに転居し、翌年の9月に身重の家内が加わった。
1995年1月は、翌月に出産を控えた状況(計算合わんやんとかは言いっこなしだ)。
その前日まで風邪を引いていた私は家内に伝染さないように別の部屋で寝ていたが、その日から元の寝室で寝ていた。
出勤のため、起床する6時少し手前の時間。。突き上げるようなドーンという衝撃があり、直後に灯っていた常夜灯がプツんと消えた。
トラックか何かが家に突っ込んだのかと思った。。一瞬の静けさのあと、、
真っ暗な箱に入れられて、大きく振り回されているような感覚。もちろん人生で初の衝撃だった。
咄嗟に身重の家内の腹の上をかばったが、その後しばらく動けなかった。
おさまってからは、少し離れた山からけたたましいカラスの声がする。
家族で唯一、動き出した母が1階の洗面所の水道が落下物により出っぱなしになった水を止め、
1階で飼っていた金魚が水槽から飛び出してしまっていたのを救出しながら「あんたら大丈夫か?」と2階の私たちに声をかけてきた。
やっと動き出すと、部屋のいろんなものが落下し、家のあちこちで鍵もして締めていたはずの窓が開いていた。
それらを片付けている間も、余震が次々やってくる。
その時は気づかなかったが、築1年3ヶ月にして駐車場の地面や家の壁、柱などにヒビや隙間が空いてしまった。
部屋の扉の建付けも少し変になり、それはいまだに直っていない。
普段は、静かな6時台の近所もやや騒然としていて、「電車が止まっている」という声がした。
停電しているから致し方ない。停電しているのでTVの情報とかもない。幸い水は出ている。
以前、ここでも書いたが、猪名川群発地震??https://grupo.jp/d_mente/blog/1656838
の本格的なのが来たのかと思い、、ごく身近な地震と思いこみ、とにかく出勤しなければと思い、車で出勤することにした。当時2台あった前の車のバンパーに後ろの車が乗りあげていた。
車中では、いつもは音楽を聴いていたが、情報を得ようとラジオをつけた。
浜村淳がいつもの調子で冒頭「今朝大きな地震がありました。」と語っているが、よくはわからない。
少し車を少し走らすと、、ジュースの自動販売機が倒れていたり、異様な光景がひどくなっていく。
なかなか車が進まない、、始業に間に合わないことにイライラしだしたが…。
しばらくすると、ビルのガラスが崩れ落ちていたり、大きく崩れている住宅が目に入ってくる、、
思っていた私の地域レベルの出来事ではない只事ではない状況にようやく気付きはじめた。。
割とノンビリ話している浜村淳から別の局にラジオを切り替えた。
阪神高速が倒れているとか、鉄道に破損が起こっているとかの情報が入るが、ピンと来ない。
ようやく少し遅れ気味で吹田市の江坂にある会社にたどり着いた。ここまで来ると、被害はそれほどなさそうだった。
会社があるビルのエレベーターに乗ろうとすると、血相を変えて降りて来た先輩と出くわす。。
「おまえ、よう来れたな…」と言われる。どうやら周辺に住んでいる社員しか出勤できていないようだった。
社内に入ると、机やキャビネットなどが、ひっくり返っていた。。
それらを出勤した社員で整理している間に、社長室(?)にあるTVが観られるようになり、、、
いろんな画像を映し出された。。。そこに居た数人の社員全員が絶句した。。。
崩れて燃える神戸の街、なぎ倒された阪神高速、私が少年時代から利用していた阪急伊丹の駅…。
安否確認もなかなか…。
手分けして調査していくと私が勤めていたこともある西宮の店や芦屋店は全壊。。神戸や尼崎、伊丹の店は、営業できる状態にない。
慌ただしく1日が過ぎ、その時代、まだ携帯は持っていなかったので、会社の下にある公衆電話で家内に帰宅を告げる電話をしたが、
普段、1時間もかからない道のりは、大渋滞になり、車中で連絡も取れないまま5時間くらいの道のりになった。
しばらく、普段の仕事はできず、
その日、出勤した社員は片づければ営業再開できそうな店へ徒歩で向かうなどの日々を過ごした。
翌月2月10日に娘が誕生したが、生後1週間で障がいがあることがわかり、、箕面の産院から救急車で運ばれることになったが、
神戸の大きな病院へは行けず、大阪の和泉市の病院に運び込まれた。。
その病院で、30年間、お世話になっているので、私自身は大きな被害に遭わなかったものの、少なからず人生への影響は受けた。
生まれてから30年間、考えもしなかった地震の被害。
私が、30歳にして「こんな地震初めてや…」と言うと、当時62歳の父がボソッと「俺もや…」と言っていたので
もっと長くそうだったのだろうが、、、今や、東日本、熊本、能登と、、次々と大きな災害が…。
日本人は、宿命としてこの災害と向き合っていかねばならないのかもしれない。
さて、話は変わって、、昨年12月にここで書いたEastof Edenから結成1年足らずで、最年少実力派ベーシストわかざえもん脱退という衝撃ニュースがあり、どうなっていくか心配したが、、、
なんと1ヶ月足らずで、新たなさらに若手のベーシストMINAの加入が決まり、早くも新曲ShootingStarのMVが発表された!
わかざえもんより、他のメンバーに近い年齢のベーシストになるかと思っていたら、さらに若い24歳、しかもアイドル級ルックス。
なるほど いいやん、、、初の小芝居はともかく、とりあえず安心した。。3月にはついにフルアルバム発売とのこと。
それにしても、電光石火の交代劇、、まるで秀吉の中国大返しだ、、脱退ニュースの前にもう動きはあったのかもしれないな。。
こういうことで、一喜一憂できる幸せをかみしめ、人生を楽しみ生きていかねば…。(宮本)

