今日は少々湿っぽい話で申し訳ありませんが…。 なんか書き留めておきたく失礼します。
私の一人娘が、5/2の午前1:12に他界いたしました。享年30歳でした。
健常な子なら、早すぎる死でしたが、生まれつき多くの障がいを抱えて生まれて来て、
なかでもファロー四徴症を持って生まれ、手術も回避して今までやって来ました。
30年の間、肺炎、腸閉塞、大腿骨骨折、肺膿瘍など…、何度か命の危機にさらされながら、くぐり抜けてきましたが、
2年前の肺膿瘍の時に、「そろそろ寿命…」とも告げられており、「この病気の子で手術をせず、この歳まで生きた例をはじめてみた…」とも言われたので、
“寿命”というある種の覚悟もあり、それでも、また奇跡が起こるのでは…という期待もあったのですが…。
病院でピンチを迎えた時も、もう少しは大丈夫かと、付き添いを家内に任せ、
私は翌日の仕事のため、1時間半をかけて帰宅し、風呂から上がったところで、さらに急変し、呼び出しの電話。
慌てて、逆戻り、、「もう間に合わないか…」と思ったのですが、、
22:30過ぎ頃に病院に着、、様子をみると、まだ大丈夫かな…と思っていたところ、
私が着いてから、2時間半後、脈拍がスーと落ちていったかと思ったら、そのまま旅立ってしまいました。。
今までの30年の戦いに比べると、、なんかあっけなかったが、、
夫婦揃って、最期を看取ることができたし、、親孝行で私を待ってくれたのかなと、、
私は、、来るべき時が来た時におそらく思うだろうと想像していたけど、、
「もっとこうしてやれば…」という悔いはたくさんある、、しかし結局、あらためられないまま、この時を迎えてしまった…。
だがしかし、それをカバーしてあまりあるほど娘にとっては“世界一のママ”である家内が愛情を注いで育てて来てくれたので、
両親としては「やり切った」し、娘も幸せだったと思うし、笑って許してくれるかなと…。
実は、まだ実感がなく、、、
娘に関わるルーチンの時間が来ると、、やらないといけない事にふと動き出しそうになってしまう。。
それは、おそらく30年間、24時間365日、娘と向き合って来た家内はなおさらその何十倍もそうだと思う、、、
それだけに、これからは少し心配。。
まだ、明日は通夜、明後日は葬儀。。気が張っているせいもあるが…
その後は、大きく日常生活が変わるなぁ。。
それにしても、今まで娘の養護学校、支援サービス、訪問看護師の方など、多くの方に関わっていただき、自宅への弔問にも、続々とお越しいただけ、いかに娘や家内、私も、、支えられてきたかをあらためて痛感した。
本当に感謝しかない、、こんなに多くの方に愛され、可愛がられ、娘はやはり生まれてきて、幸せだったと思う。
また、これらの人たちと巡り合わせてくれたことを娘に感謝したいと思います。
喪失感は、これから、どうしようもなく出てくるだろうけど。。
落ち込むことなく、残りの人生をしっかり楽しんでいきたいと思います!!
私自身も、結成20周年を迎え、活発化したバンド活動、音楽制作もそのひとつとして、頑張っていきます!!
これからもよろしくお願いします!! (宮本)