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小柴大造&エレファント miura 投稿日:2014年03月03日 09:39

この名前が出たら黙ってられません。笑
当時のギターを弾くジブンの目線だと

歌謡ロック(ロック歌謡??)は一杯あったけど
他のバンドはボーカルありきのバンドだったように思ってました。

小柴大造&エレファントは横一線でとてもバンドらしかったというか…。

それまでギターは弾いてたけどコピーすることで(もちろん完全コピーではないけど)
バッキングの大切さ、みんなで合わせることの大事さを学んだように思います。

あと二人のギターのコンビネーションもよくて
ロックギターの教科書のようでした。

未熟な自分たちに「コピー譜がある」、「コピー譜がなくても弾ける曲がある」
というのはとても恵まれていたと思います。

多分僕は下○君を介して宮本っちんと知り合ったと思うのだけど
その出会いがあって、宮本っちんと武内っさんがおんなじ部活で
僕と武内っさんがおんなじ帰り道で、池田君が小学校からの友達で…。
う~ん感慨深いです。

小柴大造&エレファントと宮本っちんが出会ってなかったら
岡林チョラン君もライブすることもなかったかも。。。

遊びの延長にバンドがあったから、部活の友達(中学校の時はライバル)
である山田君も巻き込んで、楽しいというかイイ思いさせてもらいました。

小柴大造氏には感謝です。。。

川崎勉氏は震災以降被災地に何度も足を運んで慰問演奏されてましたが
最近は病状が重いのかブログの更新がありません。心配です。
Re: 小柴大造&エレファント トリックハウス宮本 投稿日:2014年03月03日 14:47
このネタを書けば、三浦さんが来てくれると思ってました!(笑)
バックバンドという形ではなく、みんなで音を創ってるという雰囲気がありましたねぇ。。 今思えば、よく「バンドスコア」が販売されてたなと思います。

当時の私たちの“メンバー”との出会いの経緯はよく覚えてないのですが、
同級生のバンドに影響されて、「俺らも何かやるぞ!」と休日の校舎に忍び込んで、ワケわからん事をやってるうちに、「ちょっとちゃんとしようよ。」って感じでバンドになったような、そうでなかったような。。
以降は三浦さん人脈でバンドが形になっていったような記憶が…。
あの時にバンドやってなかったら、以降もやってなかったので、やはり感慨深いです。

川崎さんは、エレファントの中でもギターリストであり、コーラスワークの要であり、コンポーザーとしても、エレファントにバリエーションを増やしているキーマンでした。 体調を崩されていたのですね。心配です。

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