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私の女性ヴォーカル列伝 ~Vol.6 NOKKO

今年も仕事で年を越すかな?と思っていたら、なんかうまい具合に30日から休みになった。。
…が、朝起きると、ここのところ続いている、後頭部から首筋にかけての痛みがきつく、身体もだるいし、抜けそうで抜けない前歯の差し歯もうっとうしい。。
長い間、仕事が忙しかった疲れが、気の緩みで、一気に来たか。。。

今日は、曲創りを少し進めようと思ったのだが…。
年末年始、食べるのに不自由なのも何だし…、
行きつけの歯医者は既に休みだし、、市の休日診療所に行く事にした。
…が、差し歯をはずすと、中の歯が割れてる可能性があり、元に戻せないかもしれないので、「隣の歯とボンドでつけて応急処置をしておく」ということに。。。何だかあまり改善しなかった。。

家に帰って、、「マッサン」の総集編、下町ロケットの録画を観て、、1日中ずっと泣いていた。
目が腫れてしもうたやないかい。しかしこれ朝ドラ、リアルタイムで観てたら、目真っ赤にして出勤せねばなんらんとこだった。

その合間に録画していたSONGSスペシャルの「レベッカ」を観た。
以前、再結成の話題を書いたが、ベースの高橋さんは、会社員になっていたのだなぁ。

1984年4月21日、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビュー。
私が、中古レコード屋で、6曲入りのミニアルバム2枚を入手したのが出会いだった。


これらの曲のほとんどは、ギターの木暮武彦作曲だった。
セカンドシングルの「Virginity」がまずまずのヒットとなったが、これはキーボードの土橋安騎夫の作曲。
私はこの頃のレベッカが好きだったが、メジャーデビューから1年も経たない1985年1月に後にレッドウォーリアーズを結成するリーダーでギターの木暮武彦とドラムの小沼達也が脱退。

私が学生時代、京都の“ライブハウス”で観た時は、ちょうどその頃。
以降は、ご存知のようにブレイクしていく。。
ブレイク後の作曲者が土橋安騎夫が主体。「Virginity」の中ヒットが、分岐点になったのかもしれない。

売れてるレベッカも好きだったが、初期の頃の曲は、一時期、男性Vo版としてイメージして曲を創っていた時があった。
でも、そのイメージは、レッドウォーリアーズとはまた違っていた。
その頃が私の作詞・作曲とも絶頂期だったかもしれない。その頃、影響を受けたのは紛れもない。
レベッカは、1991年に解散した。

私が再び、NOKKOの声をよく聞くようになったのは、20歳代最後あたり、しょっちゅう出張しビジネスホテル暮らしが続く時に、出社前につけたTVでやっていた“ウゴウゴルーガ”のオープニング曲「CRYING ON MONDAY」。


この曲がというより、、、番組の「これ、子供に見せていいの?」という“不思議な感じ”が衝撃だったのだ…。

再結成のオリジナルメンバーといっても、ブレイク時代のメンバーになるのだな。
紅白に出るとのことで、 無事、何事もなければ、今年は見れるかな??(宮本)

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