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オリンピックの涙

2014年02月23日
浅田真央.jpg オリンピックもいよいよ閉幕。やっぱり少し寂しくなった。
今回もいろいろと感動した。私は今まで特に浅田真央選手を応援していたわけではないけど、、、
あれは…、、映像出るたびに泣きすぎて、目のフチが赤くなってしまい。。
娘の通院ついでに、鼻炎の薬をもらおうと思ったら、「目も赤いですねぇ。」と新たな薬を追加されてしまった。

私などは草野球でも打席に立つ時は緊張したし、打球を1回処理するまではガチガチだった。
誰も注目も期待もしていないのにだ。挙句、エラーすると萎縮して続けてエラーしてしまったこともあった。
日本中の期待を背負い、世界中の視線を受ける中、力を発揮するというのは想像すらできない。

スポーツはどれもそうだが、特に冬のスポーツは転倒により結果を失ってしまう事が多く、そこもまた過酷な感じがする。

いつも思うが、いずれもその種目では日本のトップの選手だ。
しかし、世界中の各国のトップの選手と戦うわけだ。そりやメダルを取れるに越したことはないが、そう簡単に勝てるわけではない。あの「○位に終わりました。」という報道はどうも違和感がある。
“偉い”人たちは、いろいろ勝手なことを言ってるが、金銭的にも自前で苦労してる選手もいるのに。。 酷い話だ。 

人間は機械ではないから、心があるから失敗もするし、プレッシャーで力を出せなかったりもするが、だからこそ、意味があり、ドラマも生まれ、感動もするんだろうなぁ。
それを思うと、映画でもドラマでも、歌でも、創作物によりスポーツを越える感動を生み出すのは難しいなぁと思う。

私は、別にモテたくて音楽をはじめたわけでも、続けているわけでも断じてない。
断じてないが、昔、誰かが歌ううたで、若い女性が涙しているのを見ると、すご~く、うらやましかった。 だって、私の歌を聞いて泣いた人は聞いたことも、見たこともない。。
歌自体の力、歌唱力、雰囲気、そもそも、どうしょうもない“キャラ”“人間力”“見栄え”…。 う~ん、仕方ないか。。。

「あっ!1度あった!!」 
前々職で、30歳をいくつか過ぎた頃だ。
新店オープンや改装が相次いでいた頃、月のうち20日以上を現地で過ごし、朝から夜遅くまで作業し、オープン日を迎えると3日間、炎天下や寒空の下、店先でイベントを行う。
この本社のドサ回りメンバーは、本社では若手だが、つぶれて辞める奴がいて、はじめて他の若手がやって来る。
よって、自分たちの手足になる後輩はいない。 合言葉は「俺ら偉くならんなぁ」だった。

ある日、改装作業遠征先でヘロヘロになって、同僚たちと座り込んで休憩している時、
私が“あの歌”をスローテンポで悲しげにつぶやくように歌った。
「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ♪ ~やっぱり僕はタイヤキさ…」
同僚が言った。「泣けてくるから、やめてくれ」 (宮本)

金の斧.jpgこの1週間。就活の面接2社、申し込んでいた父の特養入りが突然決まり面談・契約…などでバタバタ。。
家族の状況を考えると、父のケアマネージャー、主治医など周囲の人は声を揃えて「それが正しい選択」と言う。
しかし、どうも家族を切り捨てたような切なさで辛くなる。
何年待っても入れない方も多い中では幸運と思って前を向き、とにかく食い扶持にありつかねばならない。

で、私の就活、通算やっと3社目の面接は、、
今回の私が応募した職種ということではないが、ここでは通常50人くらいの応募から10人くらいを1次面接(今ココ)、そこから5人を2次面接し、2名くらいを選んで本社へ上申し、その結果採用0名という場合もあるらしい。。
そして結局最終前に健康診断を受け提出しなければならないとか。。。あちゃ…ダメじゃん。。。

それはそうと、同じ境遇のおっさん(…これ読んでる人にはおらんか…)のために参考になればという想いで、転職活動情報を発信したいと思う。今回は転職サイトについて。

転職サイトに登録していると、企業からサイトを通じてオファーが来ることがある。
オファ-と言ってもいろいろあり、特別なスキルのないおっさんには、
採用担当者が経歴を選別したものではなく、登録したデータから絞込みされて自動配信されてくるモノくらいだ。
サイトによっては、その企業の募集要項を閲覧しただけで送信されてくる場合もある。
要するに「企業が少しばかり興味を示してくれた」と思ったら大間違いなのである。
また、そういうのをガンガンやってくる企業はちょっと黒い感じがする。

…とはいえ、「企業が条件設定した部分をある程度クリアしているのでは?」などと淡い期待はあり、仕事内容にまずまずこちらも色気があれば、「応募してみよう」と思うのは人情である。

で、その企業の募集要項を見てみる、、
読み進めていくと「対象者:30歳未満。。」なんてこともあり得る。
「年齢制限あるなら、はじいとけや。。また無駄なものを見てしまった。」と少なからず怒りを禁じ得ない。

基本、雇用対策法により年齢制限は禁止されているが、「未経験採用」を掲げている時などは、“長期勤務によるキャリア形成の為”などの理由で、年齢制限をつけることができる。
しかし、経験者を求める場合は「35歳くらいまでがいい」と思っても、年齢制限を掲げることができないのだ。
それでも企業にとっては、多くは若い人がいいに決まっている。
だから「若い方が活躍できる」とか「20~30代が活躍中」「あなたの上司になる人は35歳」「平均年齢28歳」などのさりげない一文や、若い人がチャラけている写真などをわざとらしく掲げて、我々中高年を拒絶しているわけだ。
そんなことは、転職サイト会社も、あるいはハローワークのスタッフも、紹介会社も、そして我々も百も承知だ。

だったら年齢制限してもらった方が、どれだけ撃ってもまったく当たらない“無駄な鉄砲”を撃たずに済むわけだが…。
話は、そう単純でもない。 もし、企業が自由に年齢制限を設定できるとしたら??
採用担当は、特に根拠もなく適当に年齢を入れることになるだろう。 「まぁ40歳くらい迄でいいか。。」というノリだ。そしたら、書類選考のチャンスすらなくなるわけで、“下手な鉄砲”も撃てなくなるのだ。

また転職サイトから多くのお知らせメールが来るが、
「あなたの経験にあった求人」として、マッチ度96%などという評価までついて送られてくる…。
90%以上マッチとしながら、未経験の“営業職”だったり、年齢制限があったり、どうみても女性向けだったり…。

求職者からすると効率は悪いが、厳格にマッチングやると最初から見るべきものさえ皆無になってしまうわけで、、、
これも「中高年のモチベーションを維持するための深慮かも知れない。。」と好意的に受け止めるしかない。 

ある日、転職の神様が現れた。
「おまえの撃った鉄砲は、“下手な鉄砲”か?“無駄な鉄砲”か?」
正直者の中高年が答えた「“下手な鉄砲”ですが、もしかしたら“無駄な鉄砲”だったかも知れません。」 
神様「さらば哀れな子羊よ。おまえの今後の健闘を祈ります。」 めでたしめでたし。(宮本)

 オリンピック。。日本の十代恐るべしですなぁ。。もう私からすると、息子・娘世代である。。。

そんな世代からすると、もう昔話、生まれるずっとずっと前の話である。
Vol.1で紹介した町田義人が「戦士の休息」をリリースしてから、1年と少し、1979年の終盤。
当時のメジャーデビューの登竜門ヤマハのポプコングランプリから、おそらく一種の名刺代わりでもある「世界歌謡祭グランプリ」の看板を背負ってリリースされたのが、クリスタルキングの「大都会」。
あの3オクターブボイスのハイトーンは衝撃的だった。

この曲がヒットしたのは、強面の“低い方”のボーカル、ムッシュ吉崎とのコンビネーションという部分も大きかった。
ギターソロも押し出すなど、バンド色が色濃かった部分も特徴であったが、ジャパメタブームが来るのは、この3,4年後のことだ。
このデビューから5年後に北斗の拳の「愛をとりもどせ」がヒットしたが、その頃には私の興味は、ジャパメタへと移っていた。
このハイトーンボイスの田中昌之に、1度ジャパメタバンドで歌って欲しかったものだ。

日本の一般成人男性の地声の平均声域はG2~G4の2オクターブ程らしい。ちなみにキーの低い私が、ソロ作品“漂流者”で使っているのはE2~F4。やはり2オクターブ程度。
…と言っても、F4は一瞬芸限定で、下はC2またはB1まで出るが、歌に使えるのはやはりE2くらい。もっと高い声欲しいなぁ。

3オクターブといわれる田中昌之の場合、「大都会」では地声でC5が出ている。ところで、クリスタルキングの「大都会」を含むファーストアルバムは、なかなか珠玉の名曲揃いである。
今回の紹介は、ファーストアルバム最後に収録されている「An End」という曲。地声ではなく、よくわからんが、ミドルボイスあるいはヘッドボイスだと思われる。泣きのギターのあとの1:22くらいから、出て来る。一瞬ギターの音色かと耳を疑う。 ・・圧巻である。

この人は、3オクターブ出るという話だったが、この声を含めてなら余裕でその声域はある。あるいは地声だけでも出たのだろうか。。。
…が、何でも草野球のボールを喉にあて、高音が出なくなってしまったらしい。
ムッシュ吉崎との確執も含め、「大都会」を生で味わうのは、いろんな面で難しいようだ。
では、もう1曲!「大都会」のB面でファーストアルバムにも収録されている。「時流」という曲。

私は当時、この曲が「大都会」より好きだった。今、聞けば少々青臭いけど、中学3年生の私は人生を感じた。
さて、私もファルセットとかミドルボイス挑戦で!! 目指すぞ3オクターブ!!(宮本)

雪.jpg無職のまま年を越したので、先日、人生初の“確定申告”に行って来た。
あやふやな事が2点ほどあったので、そのまま提出するのでなく、「産業・情報センター」というところに相談に行ったのだが…。
何と2時間半待ち。 少ししか席がなく、私より年配な方が多いので、ずっと立っていた。。。

ようやく中に入ったが、スタッフの方も忙しくバタバタしている。
私は自宅でPC入力したものを印刷して持っていき、そこで“先生”と呼ばれている人に確認してもらった。
忙しそうだったが、親切な方だった。
添付する健康保険の支払証明が振込明細みたいなので良いか確認したのだが…、「ええんちゃう。」というご返事。

これで提出物は完成したので、先に進むと、そこに立っていたスタッフに、ここで受付してくれるか聞くと、「別の階です。」と言われたが、、別の人がそこで受け付けてくれた。。 …大丈夫か。。。
2時間半待って、目的の確認や提出は10分足らず。

…で、待ってる間に携帯が鳴り、応募していたところから、面接に来るようにという連絡が来た。
1月は相当応募したが、すべて空振りだったので、突然の面接進出に面食らってしまった。
「経理・総務」の募集に応募していたのだが、どうも経理がメインらしい。
“経理”はまったく未経験というのもあり、「Webショップ店長」の枠でどうかとの事。
まぁそれも未経験だが、店舗経験はあるし、販促の経験もあるし、ありがたい話。。…で、受けることに。。。

そして、その面接が今日。
雪の中、駅から20分歩き、靴に水が染み込んでしまいながら、面接へ。
やたら広い応接室に社長と思わしき人と1対1の面接に。丁寧な話しぶりであったが…。

結局Webショップは経験者を採用したいとのこと、全体で100名を越える応募者があるとのことが語られ、私の職務経歴の内容への質問はほとんどなく。。

私に店舗経験もあり、年齢よりも若く見えるし、人当たりがよく、“笑顔が爽やか”(笑)とのことで、今度は「店舗勤務はどうか?」と。。 思わぬ二転三転。。
「年齢的に就職活動は大変だろう」という事を強調した上で、、
1ヶ月アルバイト勤務後、3ヶ月間契約社員、その後正社員にとのことなのだが、、「どんだけ試すねん。。」
もちろん、店舗業務は嫌いじゃないし、一生懸命やるけど、この企業にとってのリスクヘッジは、こっちにとっては、NGになった時のダメージが大きい。

返事は週明けにとのことで、面接終了。

この人の言うのも、現実ではある。。
薄給、休み少ない、店舗は遠い、営業時間自体が夜まで、月1とはいえスタジオ練習時間の確保も難しくなる。
しかし、これを逃すと、もう他はないかも知れない。
「さて、どうしたものか。。。」と悩みつつ帰宅、、、

家に着いた途端、前日にハローワークから応募した別の企業から「面接」の連絡が来て、受けることに。
ここも、1名の枠に私で24番目の応募だったので、、もっと増えてるだろうし、面接に進んだとはいえ、厳しいなぁ。。。
でも、前述の今日受けた会社を断る決心がついた。まぁ次のとこも、どうなるかわからんが…。

ところで、スマホとか寝る前に見ると、身体がリセットされて眠りを妨げるというが、私は「布団の中で見てるとすぐ眠くなる」と思っていた。
しかし、オリンピックが気になって、目を覚ますたびにチェックしてると、本当に目が覚めてしまい、寝た気がしない。。
で、雪の中の面接、、 あぁ なんか疲れた。。(宮本)

ゴーストライター.jpg 昨日は、雪の降る中、自分の通院と娘の通院が重複している日でバタバタ。。。
ようやく夕方から作業にかかったのだが…。
苦節9年にしてやっと初Liveを行なったので、出来はともかくその模様をPhoto、Movieのページを作ってアップしました!!
やっとバンドらしい画像が掲示できたかな??

 さて、バンドはいろんな方の助けもあり、他力本願的ではあったが、良い方に向ったが、個人的には職探しも頑張らねばならない。

ライブ翌日の週明けに早速応募したところがあったのだが、木曜日の夜になって返信が来たので、「また断られたか。。」と思い、ろくに読みもせず画面を閉じる寸前で、ふと見ると「1次選考として説明会を行なうので、日時を予約して来てください」との事。
「何でも良い方向に向ってる」などと脳天気に予約を入れると、程なく「受付完了」のメールも来た。日程的には、やや急な話だが丁寧なメールで好印象。
「しかし、説明会って、競争率高そうだな。。。」

私も、応募時に応募する企業のネット上の噂とかはチラリと調べている。その企業はあまり情報もなかったのだが、募集記事の写真やら雰囲気では、そうも嫌な感じがなかった…。
しかし、何となく胸騒ぎがして、再調査を行なうと。。。

あまり詳しくは書けないけど、、
数年前にそこの役員と社員が、ビジネス上の違法行為で逮捕されている。詐欺という要素もあるようだ。
しかし、それはその役員が経営する別会社が行なったことで、当該会社自体には関係ないという事、該当者は退任させたというその会社の釈明記事があった。
また、それらをさらに追求する複数のそこの元取引先の人が、取引上の問題も含め、糾弾しているブログもあった。
「ん~過去の恨みもあるようだし、それらを鵜呑みにするのもなぁ。。 とりあえずは行ってみるか。。」

しかし、さらに調査すると、当日の説明会が行なわれる会場や途中までの選考は同じビルにあるグループ会社が行なうのだが、ふと、そのグループ会社の情報をみると、そこの社長は退任させたはずの該当者。
状況的には「応募した会社が無関係だった。」とは考えにくい。。
元取引先の人たちの情報に信憑性が増してしまった。

残念だが、見送った方が良さそうだ。
担当の方には申し訳ないが、丁重にお断りを入れておいた。
結局、またゼロに戻った。

今、なんか話題になっているゴーストライター。
有名な作曲家が枯渇したり、スランプだったり、多忙だったりで無名の作曲家が代わりに作る。 …なんてのは、有り得そうだが、、、
報道の最初は「ジョニー大倉が何か?」と思ってしまった“佐村河内”という人、作曲すらできないとなると、あの頭ガンガンやってたのは、エアーバンドならぬ「エアー作曲家」??

作曲に限らずだが、著名な人が作れば評価されるモノが、無名だから埋もれてるなんてのは、どこにでもある話だ。
たとえば、某福山雅治がドラマやツアーで多忙だから、「アルバム出さないといけないが、、、 」ってことで、私がゴーストとして数曲作ったとしても。。
某福山氏が歌えば、そこそこ売れるんじゃないかと。。。

悪いことには違いない、詐欺ともいえなくもないが…。
この場合、著名なアーティストもクオリティを保ち一線にいられる。
ゴーストも本来、一銭にもならない曲で収入を得られる。消費者も何も知らなければ、良い曲に満足。
本人たちに良心の呵責がなければ、誰も不幸にならないわけだ。 …しかしなぁ。。。
 
私?? 職ないし、「ゴーストライターとして雇ってくれないか?」なんて、ふと思ってしまわくもない。。。

私の家内? 旦那のLiveには見向きもせず、某福山雅治の「ドームツアーを2回分ゲットした」と上機嫌の家内は…、波平さんの最後の声を保存版にしようと「サザエさん」の録画を頼んでおいたら、「ちびまる子」が録画されていた。。 ゴースト録画? ワザとだな。。。 (宮本)

LIVE当日.jpg わがトリックハウスが遂にLIVEデビューした。。とにかくいろんな人に感謝するばかりである。
また「思ったより…」ということがいろいろ起きた。

今回LIVEに出演するチャンスをくれた夕凪BLENDの“うなぎ”くん、DADAくん。。
出演された皆様、CafeSunのスタッフの方。。感謝です。
想像していたより広く、良い音が響き、ビックリした。

そして。。
もしかしたらドタキャンしなければならない可能性。
「わざわざ来てもらい観てもらえるような演奏ができるか」とか。。
「キャパを考えると、出演者自体と長くLIVEを続けている他の出演者のお客で埋まってしまうのでは。。」などもあり、ここでは紹介したものの、個人的には誰にも案内も何もしなかったのだが…。
…にも関わらず、ビックリするくらいの知り合いがわざわざ駆けつけてくれた。
それも、相当長年の時を経て。。
まぁ。。「9年かかってやっと初LIVE。。もう無いんじゃないか。」というのもあったかも知れないが…。

三浦さん、ヤマさん、ホカベン、モモちゃん、リハを手伝ってくれたThe Dockerysの吉井くん。。。
よく考えたら、みんな、かつて一緒にステージを共にした。
そういう人が見守ってくれるのは、すごく心強かった。たぶんハラハラさせただろうけど。。
三浦さんやヤマさんにはおまけに撮影までしていただき、申し訳なかった。社会人になると、なかなか負担になるものだし、観に来ていただいた方に、この場をお借りして、「ありがとうございました!!」です。

…で、LIVEはというと、「気楽に参加」につられて、出演を決めたものの、他の出演者のレベルは「思ったより…」数段高く、、「おいおい…」という感じもしたが、、、

そんな中。。
私もメンバーも、個人的には絶好調というわけではなく、反省点はいろいろあると思う。
私も急に「歌がうまくなる」わけもないのでそれはムリとして、3曲目くらいで既にバテててたし。。 気の効いたこともしゃべれないし。。

しかしながら、正直なところ、我々なりには「思ったより…」の出来だった。
もちろん、他の出演者の背中は、だいぶ先にあるという事に違いはない。しかし、大崩れせずに最後まで演奏できるかというレベルの不安があったが、、おそらくバンド単位では、「アレでも練習中にはなかった演奏だった。」というか、現時点のモノは出せたと思うので、今回はこれで“ご容赦”というところだ。
何より、“すごく楽しめた”。 演奏もそうだし、他の出演者の演奏を聞けたこと、久しぶりの人に会えたこと、、、それが何よりだ。

しかし、ドラムの梅村さんの「本番に強い」は本当だった。
そういえば、トリックハウスのメンバーで近年のライブ経験があるのは梅村さんだけだったのだ。。
これをきっかけに「最初で最後」にならないように、頑張っていきたいと思いますので、暖かく見守っていただければと思います。
この日の様子は、また忘れた頃にこのHPでLIVE写真、動画を公開できるようにしていきます。

ちょっと撮影したモノを見てると、私、自分で「思ったより…」、、デブでした。。。
なんか、腹ばかり目につく。。今回の最大の反省… 「まずは、ダイエットだな。。」 (宮本)

練習風景-3.jpg 年明けに急遽LIVEの予定が決まったが、“おっさんバンドの泣き所”、、まだ今のメンバーになってから全員揃って練習できたのは2、3回。それもその最後が半年以上前だった。

1月に何とかスタジオ練習を3回押さえたが、先日の2回の練習はひとりずつ参加できず、
昨夜のLIVE前最終練習(写真)も2時間の練習の半分を過ぎてからようやく4人になったものの、結局、5人揃うことはなく、とうとう本番へ。。。

しかし私も22年ぶり、、何かLIVEの感覚は忘却の彼方だ。。 大丈夫かな??

 学生の頃などは、LIVEに向けて短期で集中的に練習して挑むこともあった。
このバンドがスタートした時、私の個人の理想としては、いつでも1時間くらいのLIVEができる状態を作って、それができたら、LIVEの時間配分に従って演奏曲目の構成を変えて出ていけるようなバンドにすることだった。

しかし、もう少しというところで、退歩したり、メンバーが抜けたり、もうすぐ9年経ってしまう。 
理想を持ち過ぎたことで、逆に理想から遠ざかってしまったのかも知れない。

…で、とりあえず「出てしまおう…」というのが今回なのだが、、
…さて、どうなることやら。。 今回の結果はともかく“きっかけ”になれば良いのだが…。

練習の終わりにベースの金村さんが「前も、練習ちょっとだけして出たことがあったね。」と言ったので、思い出した。。

確か1989年の11月頃だった。
年が明けたら、新バンドを始動することが決まったところだったが、
内田裕也氏が企画する年越しLIVEにアマチュア枠で出演させるバンドをオーディションするという企画だった。
募集要項には、「メンバーに17歳がいること。ただし自称でも良い。(結局なんでも良い)」、「応募者の人権は一切無視する。文句がある奴は安岡力也が相手する。」 …すげぇ。。
…なぜか個人で送ったテープ審査が通ってしまい、名古屋~九州の西日本地区で10バンドを集めたLIVE審査へ。
慌てて、組む予定だったメンバーを招集。ベースの金村さん、ギターのたけうち氏(MOM)は演奏した事のある曲だが、ドラムの人は初めて顔を会わす人(実は前任ドラマー島本さん)だ。当然、曲も知らない。
時間が取れず、対象の2曲を30分だけスタジオ練習して本番へ。

場所は「心斎橋ミューズホール」。裕也さんは、かなり予定時間に遅れてやって来た。
しかし、登場するやいなや、すごいオーラだった。 スタッフもピリピリしている。
冒頭、ちょうど松田優作が亡くなったところで、全員で黙祷となった。
お話もあったが、例の感じで途中で話がまとまらなくなり、「…よろしくロックルール!」で締めくくられた。

 途中のバンドから2曲ではなく、「もう1曲やってくれ」となり、後半には「これから演るバンドは5曲やってくれ」と言い出した。

…しまった2曲で精一杯だ。。
う~んレベルが高い。。「しかし意外に緊張してないな」と思っていたが、最後だった出番に向おうと立ち上がると、
足の感覚が無いくらいガクガクだった。 
スタッフに「あのぉ…僕ら2曲しかできないんですけど…」と言うと、
スタッフが困った顔をし、小声で「裕也さんに言って。。」と言った。

…で、ステージのマイクでそう告げると、「君が宮本くんか?」と言われた。「はい、そうです。」 私と内田裕也氏の短いが熱い男の会話だ(笑)。。

まぁ、、演奏は散々だった。。。
曲の最後で手を振り回していたら、ギターのたけうち氏が振り向き様に勢い良く飛び込んで来たので、リキラリアットが決まってしまった。。。 「あっ」。。悲惨な光景だった。
 
他のバンドにはいろいろコメントしていたが、「はいご苦労さん。これで全バンド終わり?」で終わってしまった。
ここに参加していた半数くらいのバンドは年越LIVEに出演していた。
「あのチャンスが、もう1年あとだったら。。」と思った。

…懐かしい、、この経験が“理想”を持つ要因になったかも知れない。
しかし、そもそも、準備万端のところにチャンスは来ないものだな。。

なるほど、“とりあえず動く、転ぶ、起き上がる、シェイキナベイビー!” 
さぁトリックハウスの記念すべき第1歩。。 転んで「渇」を貰いに行きましょう!! (宮本)