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DSC_0115.jpg昨日の朝の散歩の時に見た桜の木は、ほとんど蕾だったのに、今朝みたら写真のように2部咲きくらいになっていた。
もう数日で満開になるのだろう。そしてまた数日ですぐに散ってしまう。時の流れを感じた。。

なんかセンチに感じてしまうのも、、少々、今朝の私は打ちひしがれていたのだ。
高校野球は、今年は近畿勢がベスト8に3校が進み、敗れた高校もすべて1点差負けという健闘ぶりだ。
…などと思っていた昨日、、

相変わらず、転職サイトから応募しては、NGになり続けている。
それ自体には慣れてきたが、こう日数が経っても進展がないと、少々厳しい現実である。
そこへ、ちょっと嫌な事が起こった。

某企業へ登録しているキャリアシートへそこへの志望動機などをそれなりに頑張って書いて送信した。
やれやれと高校野球観戦しようとした送信してから10分後、その企業からサイトを通じてメールが来た。
通常は、「ご応募ありがとうございました。これから書類選考にはいるよ~ん」という自動メールが来るタイミングだ。
てっきりそれと思って、スルー気味にみると、「…慎重な選考の結果、残念ながら…」という“お祈り”メールだった。

即効で受信に気づいたとしても、結果通知の送信を行う時間を除けば、わずか5分足らずで、“慎重に選考”されてしまった。。。ギネスに登録したいくらいだ。
ほぼ、名前と年齢、性別くらいしか判断基準がない時間だ。
年齢でNGの場合、それくらいの速度で決まってしまうのは仕方ない。
私も元採用担当として、それは理解できるが、それでも何らかの業務でこの人の経験を活かせるところはないかと思いながら、まずは書類に目を通した。それに「慎重に選考」したと言えるだけの“間”はとる配慮はした。

それすらないこの扱い。。おそらく「じじいが応募してんじゃないよ!」という感じでプチッとやってるシーンを想像してしまった。
 あぁムカツク!! よく考えてみれば、こっちにしたら、早かろうが遅かろうが同じことだ。
年齢とか性別とかで判断されるなら、どうにもならないことだし、割り切るしかない。
他の人にも同様の配慮のない対応をしてるとしたら、この採用担当者や企業に負のイメージが至るところで蓄積していくだけである。

…であるが、少々自分にも焦りが出て来たのか、不愉快な気分が抜けない。
しかも、その後のプロ野球開幕で、わが阪神は4点を先取しながら、能見炎上の大敗。。 ぐわぁ… としか表現できない。。
DSC_0116.jpgなので翌朝、2部咲きの桜を見ても気分が晴れないのだ。
ところで、今日から私が取ってるスポーツ新聞の文字が大きくなった。 最近、目がかすむので、読みやすくなった。。
相変わらず、勝ったかのような1面である。。 う~ん、私もこれくらいポジティブでありたい。

そして、本日は特養入りしている父の歯医者に付き添うために途中まで見れなかったのだが…、、
帰宅後、もう負けたかと思っていた試合で、マートンの特大アーチでまず同点。
阿部のまさかの凡プレーで、逆転。。 ゴメちゃんも連夜の活躍!!

「よっしゃ!!」 私のモチベーションも何とか少しばかり回復。
やはり私にとっては、「たかが野球されど野球」なのであった。 (宮本)

射撃.jpg 今日は、失業手当認定日で雨の中、ハローワークへ。駅からさらに片道徒歩30分。
雨のせいか空いていたので、待ち時間もほとんどなく、帰り道。続けて1時間歩いたので、汗と雨でぐしょ濡れになった。
少々惨めな気持ちで歩きながら「どこで間違えたのだろう…。」とふと考えていた。。

経歴書には長所のひとつとして「人当たりがいい」と書いている。周囲からそう言われて来たし、実際、少ないながら面接してくれた人もそこは認めてくれている。 しかし、社会人になろうという時の自分はそうではなかった。。

新卒でサービス業に入ったが、アルバイトも工場ばかりで人と接することは避けていた。
就職後、店へ出てはじめて「アレ? 何で接客業やってんだろう?」と思った。。
入社してしばらくして、自分よりは2つばかり年上くらいの若い女性がファッション雑誌を持って、私のいるレジに来た。
見ると、裏表紙が折れてしまっている。「少々お待ちください」と言って、売り場からきれいな同じ雑誌を持って来て交換して渡した。その人は、パっと笑顔になり「ありがとう!」と言ってくれた。 …嬉しかった。
「サービス業は天職かも知れない。」と思った。

そこから13年経った。いろいろあった。。先日のブログ「最後の遠征」から、しばらくして会社を辞めた。
転職活動時「もうサービス業はごめんだ。。」と思っていた。
人材紹介会社のコンサルタントに「30代半ばで職種転換はムリ、サービス業に絞るべき」と言われた。
…で、メーカーだけど、「サービス業をやる」という前職に入社することになった。
サービス業ではない会社で「サービス業をやる」というのは、“苦行”以外の何ものでもなかった。。
入社2年後くらいから、この会社の本業の手伝いをやりはじめ、デザインとか採用とか、経験の無いこともやる事になった。

7年後、サービス業を撤退する時に「退職」を申し出たが、引き止められた。迷ったが「目の前の安定」を選んだ。
結局、ここでサービス業を手放した。。 それから採用担当やら、関連性のない他の仕事を半々くらいして、散々、振り回された挙句、6年後、、母の手術立会いのため、有休届けを出した途端に転籍して「営業」へという話が…。
49歳で未経験の営業。。 「そこで頑張れ」という話ではないことは、誰でもわかる。
家庭状況という足元をみて、「今でしょ!」と“とどめ”を刺しにきたか。。
それでも「裏切られた」とは思わない。この末路も予想していたし、そういう“やり口”も痛いほど身にしみている。
わかっていて何の対策も打たず、ここに至ってしまったのだ。自分の危機管理力の無さを恥じるべきだ。
「どこで間違った…」というより、「間違いだらけだなぁ」、、 だからどんどん“中途半端”になってしまった。

実はこの時「営業」を「やってもいいかな?」と少しだけ迷った。
それは以前、採用担当の仕事で、打ち合わせに来た人材紹介会社の担当と、ついて来たベテランの“経営コンサルタント”に私が営業職募集要件や会社の説明をしていると、突然コンサルタントが「あなた営業に向いてますよ、それもトップセールスになれる。あなたが営業をやるべきだ。」と言い出した。 「はぁ? 私、営業なんてやったことないですよ。」と言ったが、「そんなの関係ないです。私の勘ははずれたことがない。」と自信満々に言われたことがあった。。
すっかり忘れていたが、この出来事をふと思い出したからだ。。。「意外な才能があるかも??」
しかし、さらに「中途半端」になってしまう。。  何より期待もされていない。やはり出て行くことを決意した。

退職して、もう半年経ったが。。 一向に先が見えない。そろそろ目先を変える必要がありそうだ。  
とはいえ、「これから、どうしたものか?」

そんなことを思いながら、帰宅して、引き出しの中から写真の「射撃の的」を見つけた。
27年前、、前々職の内定研修で、ホノルルマラソンに出場した後、気が進まないながら同期の連中と実弾を撃ちに行った。
初めてだったが、なかなかの名射撃だ。。「good!」ってサインしてくれた。
 …なにか意外な才能ってないものか?? (宮本)

最後の遠征

2014年03月24日
DSC_0113.jpg 風邪の影響でまだ歌の練習もできない声の状態だが、身体の調子は少しマシになったので朝の散歩は再開した。
そのコースのひとつで、写真のようなものがあり、見るたび、ある記憶が蘇る。

15年ほど前、前々職の経営状況が思わしくなくなった。
月末には「不渡りが出るかも?」という状況で、ある日、当時の営業部長に数人召集された。
「宮本、○日にチラシ間に合うか?」 当時私は販売企画部のマネージャーをしており、チラシの制作や手配をしていた。 「ギリギリいけると思いますが…」 店の在庫品を処分してとりあえず現金を作るという事だ。
しかし、同席していたブロック長2人は渋い顔をして言った「チラシ入れても、もう売るモンなんてありませんよ。」
部長が珍しく声を荒げた「じゃあ、座して死ねちゅうんか!」
…という程の、状況だった。

そんな中でも、予定通り、新店はオープンしていく。
大阪本社の会社だったが、店舗の半分は九州にあった。新店オープンとなると、私も1週間ほど出張し、売場のサイン、POPの設置や、オープンイベント(抽選会とか風船プレゼントとか…)に行く。
暗黙の了解で、誰も“出張手当”は申請しなかったが、「立て替えた交通費や宿泊費は出るのか」とか「帰ったら、会社が無いのでは…」とかの不安の中で仕事をしていた。

それでも経営陣が変わったりしながら、1年程経った。
社員数も半減したが、相変わらず攻め続け、改装が相次いだ。休日は3分の1くらいになり、タイムカードも押さずに働いていた。
入社した数年は、現地社員の寮にみんなザコ寝などということもあったが、上場を目指す中、待遇が改善され、ちゃんとビジネスホテルの一室に宿泊できるようになっていた幸せな時期があった。

しかし、それも“夢のまた夢”。。
いよいよ、私が在籍中の“最後の遠征”の時は、本社から6人が、まず鹿児島の店へ行き、レンタカーの大型車に乗せられ、九州の店を夜の間に改装して回ることになった。
宿泊するところは、現地のブロック長が「よく探せたな」というような安宿を探して来て、個室どころか、そこへみんなでザコ寝になった。

ある旅館(?)の受付のおばあさんが、「風呂は大浴場と部屋風呂があるよ」とのこと。
みんな疲れてたし、汗もかいたので、「大浴場」に過度に期待してしまった。

で、早速、大浴場に直行し、、ドアを開けると、、、、
入口でなぜか洗濯機が回っており、だだっ広い汚いタイルの奥のやたらと高いところに、ポツンと家庭の浴槽より小ぶりな感じの汚い浴槽があるだけだった。。
みんな呆然となり、、「部屋で入るか」と誰となく言い、部屋へ行った。

部屋に入ると、誰かが早速、風呂を確認に行ったが、「えぇーーー」と悲鳴のような声をあげた。
慌てて、私も見に行くと、暗い汚い部屋に、10年くらいは使用していないであろう50cm四方しかないような、ちょうど写真のようなタイルの“風呂”があった。 別の誰かが、「これ風呂か?」と言い、私も「漬物のぬか床ちゃうん?」と言った。。結局、その日誰も風呂に入らなかった。(入れなかった。。)

鹿児島→熊本→福岡と、1週間で5店舗くらいの改装を終えて、戻って来た時、5kgくらい痩せていた。
それが、前々職での、数多かった新店、改装店オープンの“最後の遠征”だった。。

もうこの時は、誰もこの会社にずっと勤められるとは思っていなかったが、
この時のメンバーは少しずつ、会社を去っていき、私も間もなく退職した。この時のメンバーとはもう誰ともつながりがない。
みんなは、どうしているのだろうか? 今はこの時より幸福であることを願うばかりだ。 (宮本)

天誅.jpg風邪がしつこく、、キツイ。。 高校野球とプロ野球のオープン戦をグッタリしながら観戦。いよいよ野球シーズンが始まった!! 
同時に2014年ドラマの第1クールが終わった。どのドラマが、視聴率上位をとったのか?

1位は「相棒12」平均17.1% シリーズ“12”にしてトップ!依然強いが、この時期全体として数字的にも低めとなった。
2位が大河ドラマ「軍師官兵衛」16.4%。私はまずまず気に入っている。今後に期待したい。

3位は「S-最後の警官-」14.1%。1話目の派手さにビックリした。向井理がパンチで壁を突き破り、隣の部屋の犯人を倒すというくだり、「やっちまったな。。」という感はしなくもないが、そこそこ楽しめた。なんか次への余韻を残して終わった。つづくようだ??

4位は「緊急取調室」12.86%。我々、中高年応援ドラマなのか? 出演陣の平均年齢がやたらと高い。
普通の企業だったら、このドラマのタイトルが「戦力外捜査官」でもよかった気がする。小日向文世と大杉蓮のキャラが被ってる気がして仕方ない。

5位が例の問題作「明日、ママがいない」12.84%。残念ながら、1回も見ていない。だからどうのこうの言えない…。
見ると「あれはひどい」と思ったかも知れないが、「不愉快なら見なければいいのに。」と思っていた。
古今を問わず、ドラマの影響で変なあだ名がついたり、イジメにつながったりはあるのだろう。
しかし、その根本原因は、テレビの中にはないように思う。
しょせんTVでもネットでも、完全に劣悪なモノを見分けることも消し去ることもできない。
「臭い物にフタをする」「都合の悪いモノは見せない」ではなく、TVの世界と現実とを区別する判断力、情報の取捨選択、正々堂々と問題に対する議論、教育に持っていく機会にできないのだろうか…。
そんな価値観の中で見る側が判断することにより、単に“えげつないモノ”や“人を傷つけるモノ”は“自然淘汰”されたらいいのに…。 残念ながら、そうなっていないのが現実だろうけど。。。
ヒステリックに単に消し去ることは、今回の事云々ではなく、強い意見に他が押しつぶされることも副作用としてある気がするのだ。

話を戻すと…、こうしてみると、やはり刑事モノが圧倒的に多い。

ちなみに私が他に見たのは、9位「チームバチスタ4」そろそろ、シリーズ4にきて、視聴率が伸び悩んでいるようだ。仲村トオルの演技が回を追うごとに濃くなりすぎているのが原因と言われているが…。
大体ドラマの主役、準主役には、“現実にいたら、あまり一緒に仕事をしたくないタイプが多い”ことに今さらながら気づく。

10位「戦略外捜査官」11.3%。EXILEのTAKAHIRO、ドラマ初出演だと思うが、演技がうまい。ちょっとびっくりした。顔よし、歌よし、演技よし!! 落としどころがない…チッ。。内容的には、グダグダだったが、、まぁこれはこれで。

14位「隠蔽捜査」7.5%。初回はパっとしなかったが、徐々に面白くなってきた。意図的なのかやたらと主役の杉本哲太の顔が脂性だったのが気になった。

18位「Dr.DMAT」6.82%。あれだけの大掛かりな撮影と番宣をかけたことを思えば、コケ気味だ。
大掛かりな割に出演陣はやや地味な感じがしたが、主演大倉くん。ダメダメな期間が長すぎて、ダメな私もイラっと来てしまった。
…途中からの急成長ぶりにもややムリがあった。市川実日子登場あたりから、やや面白くなったのだが…。

全体的には、ずばぬけて良い作品はなかったが…。
今回注目だったのが、裏番組どうしとなった11位「三匹のおっさん」10.6%と16位「天誅~闇の仕置人~」7.24%。
両方ともお茶の間から消えてしまった時代劇の要素を現代に持ってきた勧善懲悪モノ。それも刑事とかではない人が悪者をやっつける。悪者も現代的な悪だ。
「三匹のおっさん」はその上で、心の声を漫画的にフキダシで表現する手法がなかなか面白かった。
「天誅~闇の仕置人~」。小野ゆり子に期待しつつ、戦国時代の九の一が現代にという荒唐無稽に??だったが、同じシチュエーションの「JIN」の例もあるので、、見てみた。これも意外に拾いモノだった。中盤からは、完全にノリが必殺仕事人に。京本政樹まで配役する徹底ぶり。
決めセリフもなかなか良い。「承知」「…握り飯ひとつぶんの仕事をする ただそれだけ…」
前払いなのも同じなのだが…、「喰う前に早く現場へ急ごうよ。」と毎回、ツっこんでしまう。
それにしてもハイリスクノーリターンでワーキングプアな仕事だな。。 なぜか「死して屍拾う者なし」と2回つぶやいてしまった。。

ところで、最近、私は「チームバチスタ4」に出演した柳葉 敏郎の物真似にハマっている。
コツは、語尾の母音をフラットに伸ばす。「おまえのぉーことはぁー俺が守るぅー」という感じだ。
家内にはかなり不評だったが、構わず続けてると、怒られなくなった。「継続は力なり!」
ちなみに語尾を上げてしまうと「北の国から」の田中邦衛になってしまうので注意が必要だ。。 (宮本)

センバツ予想

2014年03月19日
組み合わせ.jpg日曜日の個人練習を終えてから、喉が少し痛いと思っていたが、昨日から目はショボショボ、鼻はズルズル、頭がガンガン。。
花粉かPM2.5か、はたまた黄砂かと思っていたが、、どうやら風邪のようだ。
久々に空中遊泳というワザを使えるスキルが復活し、公園にいる猛獣を避けながら移動している夢から醒めると、全然、声が出ない。。体中がピリピリするし。。

しかし、気がつけば、明後日からセンバツ高校野球がはじまる!!
私としたことがウッカリしていた。ちと力を振り絞り、今回の有力校を予測してみた。。
…と書いたが、今年は、難しい。(最近、地区による実力差がなく、この傾向が続いているが。)巷でも言われているが、ずば抜けたチームがない。

私の予想もおそらく、おおかたの予想とほぼ変わらないと思われる。
材料は秋の大会、明治神宮大会となるが、優勝校の沖縄尚学、準優勝校の日本文理はまず優勝候補に挙がる。
しかし、この決勝、日本文理は5本塁打で、8-0とリードしながら、大逆転負け。双方とも、打力の強さとともに不安定な印象も残る。

また、秋の大会から一冬越えた場合、甲子園常連校の潜在能力が開花し、チーム力が急成長を遂げている可能性がある。その意味では昨夏からの主力がごっそり残る横浜、明徳義塾、そして近畿地区優勝校の龍谷大平安も優勝候補として挙げられる。
春は気候からいって、投手力がモノを言う。好投手を擁する佐野日大、広島新庄もダークホース的存在だ。

気になるのは、やはり近畿勢。ここ数年、早々と姿を消してしまうことが多いが、今年は実力校が文句ない形で出場して来た。期待したい!! 

さて、組み合わせから見てみよう。(画像をクリック)
履正社(大阪)、福知山成美(京都)は楽勝とは言えないが、頑張ってベスト8で当たって欲しい。
21世紀枠で出場の海南(和歌山)は何と池田(徳島)と対戦することになった。いい勝負と思ったのだが、海南のエースが先日の練習試合で骨折。控えの投手陣がどこまで踏ん張れるか。

わが兵庫の報徳学園は、優勝候補の沖縄尚学と当たってしまい、勝っても、順当なら関東地区優勝校の白鴎大足利が次戦の相手となる苦しいブロックだ。
智弁学園(奈良)は、東海地区優勝校の三重、勝つと、今大会屈指の左腕田嶋を擁する佐野日大が控える。
そして、智弁和歌山(和歌山)は、今大会の1回戦No1の好カード明徳義塾(高知)とあたり、2回戦も強豪が入る難しいブロックだ。私としては、2つ勝ってもらい、智弁どうしの対戦でアナウンサーが四苦八苦するところをみてみたい。
龍谷大平安(京都)は、1回戦は順当にいけば勝ち進めると思われるが、2回戦は横浜と八戸学院光星の勝者とあたる、さらに、次のブロックでは、四国大会決勝で池田を10-0で破った今治西(愛媛)、好投手山岡を擁する広島新庄(広島)がいるブロックが控える。なかなかに近畿勢、簡単には勝ち進めそうにない。。。

それでも、多少近畿勢に肩入れしつつ、ベスト4を予測すると、
履正社(大阪)、沖縄尚学(沖縄)、明徳義塾(高知)、龍谷大平安(京都)と予測!
明徳には、智弁勢が待ったをかけて欲しいところだ。

あぁ頭がボーとしてきたので、今日はこんなもんで…。 (宮本)

 今日も依然として、“歌”の不調が続いている。。。練習しても何かスッキリしない。
ところで、私の曲創りは、「Sonar6」というPCアプリケーションでドラム、ベース、キーボードを打ち込み、ギターを弾いて、歌を入れて作っているのだが…。
今年はじめに「SonarX3」というのが出たようだ。ヴァージョンアップをまるでしないまま、“13”までいってしまったのか。。。

…といっても、「Sonar6」も使う人が使えば“オモチャ”ではない。
まるで使えていない機能(知りさえしてないものも…)がたくさんあるので、ヴァージョンアップしたところで、「猫に小判」というやつである。
しかし、この「SonarX3」、、ドラム音源にあの私の憧れの「Addictive Drums」がついているらしいから、心中穏やかではないのだ。 こんなことやら、↓ できるんですよ ↓(ちゃんと使えたらの話だが…)



音を創る人の目指すところは人それぞれだと思うが、私の場合、本当はバンド形態で全部人間が演奏するのがベストだと思う。
しかし、バンドで演奏している曲さえ、時間、場所、コストを考えると実現できてないわけで、
それを個人の曲でやろうというのは遠い夢だ。何とか自分で「やりくり」するしかないのだ。
そこで技術を身につければ「バンドでのレコーディング」にも生かされるのではと思う。

“生な音”をベストとして「やりくり」するわけだから、できるだけ人間が演奏している音に近づけたいのである。
最近作「ウルトラ7」はそのために、私が生で弾いているギターを前面に押し出し、ヴォーカルのアラはエフェクターで隠す作戦をとったのだが、、、どうもイケてない。。

…であれば、クオリティを上げるためにはギターも含め、“生”の入力は最小限にして、出力はできるだけ“生”に近づけなければならない。 …う~ん? なんか、よくわからなくなってきた。。。

私が思うに、そのためには「音色」の改善はもちろんだが、これは既に気をつけているが、人間ができない事は“しない”事、今は手を抜いているが、機械的に一定ではない「強弱」をつけること、機械的にピッタリのタイミングを故意にクセをつける。 …最後のは少々、程度が難しそうなので、やらないつもりだ。

今はとりあえずフリーのプラグインの「音」集めをちょこちょこやっているところだが…、
なかなか思うようには操れない。。認識しなかったり、音出なかったり、、 道は険しい。
あぁ有料版のも… 欲しいなぁ。。

てなわけで、まだほんの第一歩なのだが、「ウルトラ7」に収録していた「The Wind Of Dreams」。
比較的、ギター抑え目だったのと、一番ナチュラルに歌っていた曲という事で題材に選んだ。
全体的にリバーブを抑え気味にし、ヴォーカルのエフェクターも抑えた。
そして、ベースとピアノの音源を入手したものにプラグイン!! まぁまだ使えてないのだけど、、、こんな感じです。 (ソロ作品にアップしました)
The Wind Of Dreams

という事で“生”を目指しているのだが、、一方では私らしくないデジタルバキバキなのも作ってみたいなぁ。 
それはムリか…。 (宮本)

ヘアー比較.jpg 依然話題の“さむらかわちのかみ”ではなく、“さむらごうち”氏。
髪の毛を切ると、何だか普通のおっさんだった。
真相はよくわからんが、悪どいことには違いない。ただ今回の変身といい、人の関心を集めることには一種の才能がありそうだ。敏腕プロデューサーともいえる。事実、多くの人が感動させられてしまっていたわけだ。

利用できるものは何でも利用し、役に立つ間は大事にするが、自分にとって不要になれば容赦なく切り捨てる。
保身のためには平気で嘘をつき、関わった人や協力者は振り回され、踏みにじられ、不幸になる。
一代で起業し成功するタイプにこういう人は多いそうだが、そこにあてはまる気がする。

しかし、選んだのがクラシック音楽業界、、成功しても金銭的には、それほどおいしいとも思えない。
この人はいったい何が欲しかったのだろう??

 ところで髪を切ったのは、“禊”だったのか、“イメージ戦略”だったのか??
変な比較だが、私も思い切って髪を切ったことが人生で2度ある。
1度目は、中学入学時、野球部に入るつもりで丸刈りしたが、何故か吹奏楽部に入部した時。
写真の下側は、“ニューハーフ”と“韓流スター”ではなく、22歳の私のジャパメタさん時代と就活のために髪を切った直後の写真である。
これが2度目だった。大学生時代、この時まで1度も床屋に行かず、自分で適当に切っていた。
後ろ髪はまったく切ってなかったので、背中の半ばまで伸びていた。
前々職の説明会に行くために床屋に行ったが、理容師さんが「…いいんですか?」と言って、ヘアーカタログを持って来た。美男子ばかり並んでいて、「これ」というのが恥ずかしかった。

当時の仲間は、髪を切ったあとを「笑ってやろう」という空気が漂ったが…、それほどの“笑撃”は与えなかった。
かわりに、1回生から4回生まで行っていた銭湯の番台の無愛想なおばちゃんに4年目にして、「あんた髪の毛切ったんか、、もう卒業やな。」とはじめて声を掛けられた。
サークルの溜まり場になっていた喫茶室には授業には出なくても毎日行き、ここで食事もしていたが、そこで働くおばちゃん達ともそれまで余分な会話はなかったが「髪の毛切ったん、スッキリしてその方がええわ。」と1人が言うと、もう1人も「もう卒業か。。さびしなるなぁ。」と言ってくれた。まぁそこから卒業までは、10ヶ月くらいあるのだが…。
知らないふりでも見られているものだ。。
私の場合は、髪を切った方が、評価者がおばちゃんばかりだが、概ね好評だったのだ。。

その時の就活、私は髪を切った翌日に行った説明会の企業に結局入社することになった。
30歳半ばの転職の時は、3社を受け2社から内定をもらい、前職に入社した。両方足しても受けた企業は10社もない。

その“適当な就活”のツケがまわって来たのか?? 今回、応募した企業はついに100社を超えたが…、ハァ。。。 
…髪を切るくらいの何らかのチェンジが必要なようだ。 (宮本)

郵便料金も値上げ

2014年03月09日
ハガキ.jpg 就職浪人以来、毎朝の散歩は継続しているが、最近、起床時間が6時前から6時半くらいになってしまった。
本当は平日も休日も無い身分だが、平日は30~40分、休日(土日祝)は50分をそれぞれ複数のコースを使い分けている。
平日、起床時間が遅くなったせいで、出発が6時40分とか50分とかになってしまう。
すると、駅から自宅へ戻るところで、ちょうど以前の出勤時間と被り、駅に向う人たちと相対してしまう。
挨拶などする仲でもないが、顔馴染みばかりで何となく気まずい。。
こっちはラフな格好で、タオルで汗を拭きつつ、逆走している。視線が気になる。。  
 …やっぱり、もっと早く起きよう。。

 ところで、上の写真。家内は毎年、年賀ハガキを大量に買い込む。
特に我が家の交友関係が大量なのではない。むしろ、仲は良くても出し合わない“習慣”の知人も多い。
まとめて買い、残ったモノは家内の懸賞クロスワードパズルとかの応募用にするためだ。

最近は、ブラックリストに載ったのか、応募者が増えたのか、景気が悪くなったのかあまり当たらなくなったが、私の愛用のiPodや、家内の以前のノートPC、冷風機、靴乾燥機、デジカメ、電子手帳などなどをゲットしている。
…バカにできないのである。。

バカにできないというと、たいして教養のない私からみても、怖いもの知らずの押しの強さと物怖じしない“タメ口”を武器にした“おバカキャラ”で世を渡り、アナログチックな人脈を築く家内が、このクロスワードパズルで長年“勉強”し、結構、物知りになって来ている。 “最恐”…いや“最強”である。。。

 …その「懸賞生活」応募用のハガキだったわけだが、、
恥ずかしながら、昨日語った消費税増税に伴い郵便料金も4月1日から値上げとなる事に最近気づいた。
「ん? このハガキどうなるの??」

新切手.jpg 当然52円、82円、92円なんかの切手は発売されるのだが、併せて2円切手もリリースされる。
…で、2円切手を以前のハガキや切手にプラスして貼り付ければいいのだ。
どうでもいいことだが、、では4月1日からって、、どのタイミングで切り替えればいいのだろう??
関係者の方に聞いたところ、4月1日の各ポストで最初に回収されるものまでは、現料金が有効のようだ。
猶予期間がある程度あるのかは不明だが、、ご注意を!!

プロ野球も活気づいてきたが、、わが阪神のオープン戦、税や料金は上がるが期待感は下がる一方だ。
今年のドラ4梅野選手をはじめ何人か期待できる注目選手もいるが、4番候補のゴメス、、いまだ試合に出ず。。
「神のお告げ」とか言って帰らんか心配である。。 
まぁ一番心配なのは自分自身ではあるが、、心配事は尽きないなぁ。。。(宮本)

消費税.jpg 消費税が8%になるのも目前に迫った。翌年には10%になる。
仕方がないのかも知れないし、収入はあがるのだともいうが…、こっちは就職すらできてない状態なので“弱り目にたたり目”というところだ。

私の近所の商店街組合でも、値上げか価格据え置きで増税分を負担するかの話し合いが続いているようだが…、
ついついレジとか(今は簡単に対応できるシステムになってるだろうけど)価格表示の変更とか“売る”側の事も気になる。

…というのが、消費税が誕生した時に苦い思い出があったからだ。
ちょうど、私がビデオレンタル・書店のチェーン店に新卒入社して3年目になろうとしていた1989年。
 店の金庫の金を持ち出して失踪した社会人最初の上司から、わずか2年の間で私の7人目の上司になるS店長がやって来た。
この頃になると、同期入社20名のうち、半数近くが会社を去っていたが、既に私には、“社内一上司運のない男”という称号が囁かれはじめていた。

 7人目の上司S店長は元々本社のブロック長をやっていた人で、入社時の研修講師だったが、妙に高圧的な態度で話していて、あまりいい印象はなかった。
S店長は赴任するなり、挨拶も打合せもなく、不機嫌そうに事務所にひとり閉じこもって何かしているようだったが、私とも後輩社員ともパート・アルバイトとも馴染むことはなかった。

少し経った時、そのS店長から「風邪で休む」と電話があった。
横で古株のパートが「風邪で休む店長なんか初めてや。」と吐き捨てた。
…が、翌日から連絡がないまま、S店長は出勤して来なかった。

店の稼動計画から、(レンタル担当だったので)やった事のない本の発注など、店長不在のまま一切の切り盛りをする羽目になった。。 
しかも…。ちょうど消費税導入により、店にある本や商品に税込価格だか税抜価格だかをラベラーで打ち込む作業があった。
新入りの後輩社員と数日にわたり徹夜で作業した。
ストッカーの奥からS店長が発注したと思われる売れそうもない美少女モノとか、何かオタクっぽいコミックやら文庫が大量に出て来た。 …怒りがこみ上げた。

2週間くらい経った頃、本社にも事態を知らせぬままだったが、そろそろ社員の勤怠の〆もあったので、S店長に電話し「その後、体調はいかがですか?」と切り出した。その答えは耳を疑うものだった。
「もう体調はいいんやけど、何かサボリ癖がついてしもてなぁ。」 心の中では「ハァ?」と思ったが、「……そうですか。。。」と冷静に答え、勤怠の〆のため、閉店後にとりあえず店に来てもらう事になった。

 その日も我々は夜を徹しての棚卸作業があったが、S店長はやたらと晴れやかな笑顔でやって来ると、勤怠報告書に休んだ分をすべて有休にして「無責任艦長タイラー」とかいう本を数冊買い込んであっさり帰ってしまった。 後輩社員が「無責任店長S…」とつぶやいた。
もう怒る気もしなかった。S店長に会ったのは、それが最後だった。
 
S店長の上司でもあるFブロック長から後日「Sにはもう何を言ってもしょうがないから…」とこの件やら、店舗の不備やらコッテリ絞られた。
当時はそれもただ理不尽としか思えなかったが…。
今にして思えば、このS店長も店へ左遷されたような気持ちやら、いろいろなプレッシャーや悩みがあり、精神的に苦しかったのかも知れない。

この時の私には、若さもあっただろうけど、上司の辛さを理解する度量とか優しさに欠けていたのだろう。。
私は意外にも上司とか上の人への追従やアピールとかを潔しとしないところもあり、それからも、悪気はないのだが目上の人にはどこか淡白に接して来た。
しかし、消費税というキーワードで何かその時の苦さが年を追うごとに強くなる。「私から手を差し延べることはできなかったのか?」
 年を取るたびに…、弱くなって来たのかなぁ。。 (宮本)

 昭和55年5月5日5枚シングル同時発売という前代未聞の衝撃デビューを飾ったバンドがいた。
「小柴大造&エレファント」である。若い人はもちろんだが、同世代でも知る人は少ないかも知れない。

既に私は高校生になり、曲創りにかなり夢中になっていた。
とはいえ当時聞いていたのはアリスとか浜田省吾など、、あまりバンド色の強いものではない。
自分の作品もアコギでジャカジャカ演るのが中心だった。オリジナル曲をバンドで演るのは、この時より3年を要した。

たぶん「ヤングオーオー」だった気がするが、テレビでこのバンドをはじめて見た。
デビュー曲のひとつ「テル・ミー」と2曲ほど演奏していた。
「なんて楽しそうに演奏するバンドなんだ!」と衝撃が走った。その曲がこれ。コーラスワークも魅力のひとつだ。
本当は当時の曲をもっと紹介したいのだが、以前アップされていたものも、削除されてしまっているようだ。
当時からハイトーン全盛時代だったので、コピーをしようにもキーの低い私では高い声が出なかった。
しかし、このバンドの曲は何曲かは私のキーでも頑張れば歌えた。それも大きかったかも知れない。
高校時代に結成したバンドで小柴大造&エレファントの曲を演奏した。ライブにも何度も行った。

小柴氏は私にとっては、羽生くんにとってのプルシェンコのようなものであり、いまだに“レジェンド”だ!
(…「誰が羽生くんやねん!」という声が聞こえた気が、、しかも越えるどころか近づきもしてないが…)

ボーカルとしても、曲にしても歌詞にしても、大好きで私の曲創りの“師匠”であった。
ポップで聞きやすいけど、冷たい街(社会)への憂いもあり、でもそこへの反逆とか破壊ではなく、
どこか健気で真摯な生き方といった潔い世界観。紛れもなく私が最も影響を受けたアーティストだ。

その後、カレーや横浜タイヤなどのCM曲にもなったし、
またファーストアルバムは、それまでのシングル曲は一切収録せずに、珠玉の曲を並べるなど、
短期間に曲の豊富さは訴求したのだが…。
「どうして売れないのか?」私も悔しかったが、、ついにはブレイクに到らず、3年という短命でバンドは解散した。
私もその後、いろんなアーティストの影響を受けて、変遷もしてきたが、結局は、ここへ帰って行くのではないか、、そんな気がします。

ところで師匠は、近年、東北復興支援ソング「虹をかけよう」の作詞・作曲をされています。
そして、あの歌声は今も健在でした!! 何だか嬉しい。


師匠なので、今日は特別にもう一丁。

これも2年ほど前のライブ。師匠の歌唱力は、私が思っていたよりさらに追いつけないところにあったようだ。(宮本)

DSC_0112.jpg無職のまま3月に突入した。ヤバイこのままだと4月に年齢がひとつ上がってしまう。。
それはそうと、最近「抜けきれないなぁ」と自省することが何度かあった。

2月2日のライブの際にリハでライブカフェのスタッフの方に「音が割れるから…」と注意を受けた。
いつ頃からだろうか、私は写真のようなマイクの握り方をしている。
スタジオでも、自宅で練習する時も、録音する時もだ。
どうしてこのような握り方をするようになったのか自分でもわからないのだが…。
私はボーカルの少し割れ気味の“音”は好きだが、たぶん音質も悪くなり、ハウリングを起こしやすいという事だろう。
確かに「マイクの正しい持ち方」からすると、厳密には指が少しでも掛かることもNGらしい。
…が、結局、本番でも治せなかった。。実際、何度かハウったので、ご迷惑をお掛けしてしまった。

それからの練習では、その握り方をしないようにしているのだが…、絶不調に陥ってしまった。 
確かにハンドマイク以外で歌うのは苦手だったが、変なクセがついたものだ。
マイクの握り方と発声とはあまり関係ない気がするのだが、
力の入れ具合とかを調整する“何か”になっていたのか。。。 抜けきれない。
今、マイクとヘッドホンで練習しているが、いっそオフマイクで基本練習を行うなどが良いかも知れない。 
しかし一体何をどうすれば…。 何とか治さねば。。

2月は結局、3社(通算4社)の面接を受けたが、、、
先日、面接へ行くと入口が閉まっており、呼び鈴みたいなものもない。(…それもどうやねん。)
それに入口には複数の企業名が書いてある。(何だか怪しげだ。)
仕方なく、携帯から電話を入れたが、「○○(前職の企業名)の宮本です。」と言ってしまった。
また、面接中も前職の業務の話をしている時、つい「弊社では…」とか言ってしまった。
そういえば、昨年面接を受けた時には、業務内容や製品についても細かく突っ込まれたので
「弊社」と言ってしまい、「申し訳ありません」と修正すること2回、「いいですよ。」と言ってくれたが、さらにもう1度やってしまい、その時はもう修正もしなかった。…で、熱く製品を語ってどうする。。。
職を離れてから、もう5ヶ月も経つのになぁ。。 次回のチャンス(あるのか?)までに治さんと。。

もうひとつ、私は相当な方向音痴だが、、
面接終了後に応接室から出る時、出口ではなく中へ入って行こうとして、失笑される失態を2連続でやってしまっている。
これは、たぶん治らんな。。

最後に。。
私は面接時に“正直すぎる”自分も治さねばならないと思っている。
何度か言わんでもいい事まで話してしまい「あっしまった!! 言っちゃった。」と思うことがあったからだ。
面接を受けた4社中唯一、次の選考に進みたいと思った企業で、性格検査のようなものを受けたのだが、、
YESの場合に○をする形式の質問内容にやたらと「恋愛に夢中になり、仕事に集中できなくなることがある」とか、
それに似たモノが結構な割合で出て来た。 これ、50歳近いおっさんが受ける内容なのか…、疑問だ。

その性格検査で、「自分は絶対できちゃった結婚はしない」という設問があった。
もちろん、今はあり得ないから「Yes」で○なのだが、、 その点では私には“前科”がある。
○をつけることができなかった。。 …なんか抜けきれない。。(宮本)