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白内障手術 私はこう見えても(…どう見えてるかわからないが、、)
社会人になって途中計1年2ヶ月の転職期間があるものの、もうすぐ満28年。その間、自分の体調不良で休んだのは3回しかない。そのうち1回は、十二指腸潰瘍で吐血し、入院したので3週間ほど休んだけど。。

つい先日の金曜日は、母親の白内障手術の日で、日帰りの簡単な手術ということではあったが、年も年なので、休みをもらって、立ち会うことにした。もし白内障の手術をお考えの方がいれば、ご参照に!

私自身、アレルギー性結膜炎が原因ではないかと思われる“結膜弛緩症”の手術や、いずれやってくるだろう白内障のことを思えば、やがて我が身になるだろうなぁ。

12時からの手術予定とのことだったが、そこから目薬を10分おきに差し、また別の麻酔系と思われるドロっとした目薬を差したりで、約1時間。
頭髪部分も含め、手術着を着せられる。 そのうち待合室は手術着の人だらけになった。

そして順次名前を呼ばれ、7人くらいが、付添い人も含め手術室のある別のフロアへ移動。
それぞれ座る席も決められ、結局7人にまとめて、看護師さんによる説明が、、
よどみなく説明をする看護師さん。「全然、噛まない。。うまいなぁ。。」
母は2番目だ。呼ばれると、まずは手術室の前の部屋に入る。そこには足元が粘着の敷物がある部屋があり、その奥に手術室がある。殺菌が徹底されているわけだ。もう少し、簡単なとこでやるもんだと思っていた。

また別の看護師さんが、私に「付き添いの方は、手術を見学されますか?」と聞いてきたので、別にそんなつもりもなかったが、思わず「ハイ」と答えてしまい、手術室がガラス越しに見えるイスに案内される。手術室は結構広くて、医師の他3名ほどのスタッフが中にいる。結構、大仰なんだな。。

私の目の前にはモニターがあり、手術される眼が大写しになっている。
隣に看護師さんがちょこんと座り、手術の実況中継をしてくれる。

手術する眼以外には布(?)が掛けられていて、その眼に光が当てられる。
それを見てると、誰もが心配する「メスが眼に迫る」という光景は見えないらしい。なので、恐怖感はそんなにないようだ。

3mmほどをすっと切って、細い管を差し込み、中の白濁した水晶体を吸い出す。
出血もほとんどない。そして変わりにレンズを入れる。ものの5分で終了した。

手術の痛みはほとんどないらしく、その夜は少しシミたようだが、翌朝にはもう痛みはないようだ。

それが終わると、TRICKHOUSEの新曲のドラムの打ち込みをバタバタ作って、スタジオ練習へ!! 念願の「Restless Night」の練習を開始!!
と言っても、まだギターの島田さんと私だけでなのだが、、身体はなんかヘロヘロだったが、喉はそんなにバテずに歌えた。

で、翌朝土曜日、朝イチでまた母を病院へ送っていった。
手術は成功とのことで、少し重苦しい感じはするが、よく見えるようになったらしい。

で、土曜日は、その後、娘の病院送迎。買い物を終え夕方近くに帰宅。
急遽コンペに出す課題の曲作り。5時間くらいのヤッツケで1曲を何とか形にして、次は持ち帰った仕事を4時間くらいで…。 今週は睡眠不足のまま、週が明けた。
で、本日、日曜日は出勤。なかなか一足飛びには進まないなぁ。ヤレヤレ。 
あぁ、、なんか忙しい。。(宮本)

DSC_0199 私は大勢でガヤガヤも賑やかな場所も好きではないし、そもそもイベントごとが好きではない。
何かと面倒だし、逆にそこに馴染めない自分が少し寂しくなったりもする。
若い頃からそうなので、もう変われそうにもない。
それに元来、舌が貧しいので高級なモノと安物の味の差はとんとわからない。
…ということで、そんな私には、家内と娘からのバレンタインは、「ガーナミルクチョコレート」5枚である。。

ところで、昨日書いたipod touchの故障具合であるが、1日中かけて充電したものが、1時間強音楽聞いたら、もう充電しないといけない状態になっている。故障したというと少し微妙だが…。

DSC_0200 …で、昨日書いたように、これは私の生活には重要な役割を果たしているので、やはりなけなしの金で新しい“相棒”を購入することにした。
“相棒”というと、水谷豊の新たな相棒は誰なのだろう??
仲間由紀恵が有力という噂だが、、織田 裕二にオファー中という噂もあるが…。

話がそれたが、、
家内があべのハルカスへ行くというので、梅田でついでに買って来てもらうことになった。

SONYのやつやら、いろいろ迷ったが、iTunesにも慣れている(?)というところから結局、ipod nanoにした。
前のものよりずいぶん小さくなった。それでも容量は8GBから16GBに倍増。気のせいかもしれないが、音もよくなった気がする。
軽いし、持ちやすいけど、ふと無くしたり、バキっとかやってしまいそうで心配ではある。

とりあえずは、練習関連の音源とか、よく聴く曲などだけ今日は準備。おいおい増やしていこう。
まずは、個人練習で試運転。ipod nanoさん「明日からよろしく!」

ところで、シーナ&ザ・ロケットのシーナさんが亡くなった。
私がはじめてロックバンド構成のコンサートを観たのは、「ロック5番コンサート」と銘打たれたオムニバスコンサートだった。
中学時代の同級生が無料チケットを入手したというので、誘ってくれたのだ。
私の記憶では、1980年の高校に入るかどうかくらいの時だったと思うのだが、ちょっと調べてみると、1年後だったかもしれない。

北海道代表が何故かアコースティックギター2本で演奏し、「僕もロックなんですかね?」と「?」状態で出場していた五十嵐浩晃。「ペガサスの朝」がヒットしているところだった。
東北代表がまだデビューしたてのハウンドドッグ、関西代表は桑名正博の妹桑名晴子、関東代表はRCサクセション。
九州代表がシーナ&ザ・ロケッツだった。
あとから思えば、信じられないメンツである。

まぁもう若い人には、ピンと来ないだろうなぁ。 シーナ&ザ・ロケッツが特に好きだったわけではないが、音楽と出会った時に出会ったアーティストのひとつである。 時は流れていく。
仕方ないが、やはりまた寂しくなるなぁ。 (宮本)

DSC_0198 私は、財布を何度も置き忘れてしまう人とか、携帯電話などの類のものをよく水没させてしまう人とか、一種の病気じゃないかとさえ思っていた。そしてまず自分には無縁なことだと。。

なんか、その日はいつもと違っていたのだ。
私は出勤時は、電車の中で本を読む(文庫本の時もあれば、電子書籍の時もある。)。
なんとなくだが、左脳を活性化しようということだ。最近は三国志の漫画を読んでいる。(今、関羽も張飛も死んじゃったトコ。。。)

そして電車を降りると
特に行きたくなくても、とりあえずトイレへ行く。そして、そこから会社へ約15分程度歩くためにipodの電源を入れる。
音楽を聴きながら、今度は右脳を刺激し、テンションを上げていくという按配である。

しかし、その日は日曜日で午後からの出勤。
いつもと違い、家を出た瞬間から、コートのポケットにipodを突っこみ、音楽を聴いていた。

で、トイレを済ませ。
さぁ、脱いだコートを着て、と思った時、信じられない光景が眼に飛び込んで来た。
「バレンティンに対して、力弱い不用意なストレートがど真ん中に…」的な…
ではなく、ポケットから滑り落ちたipodが、便器(洋式)にどストライクで飛び込んだのだ。

一瞬、事態が飲み込めなかったが、金属なのになぜか少し浮き気味だ。
意を決して、手を突っ込み拾い上げた。

とりあえずペーパーでよく拭き、さっと水洗いして、また拭いた…。

どうやら無事動いている。「よかった。」
ところが、動いているのだが、「音が出ない。」
電源を切ったりいろいろするが、無理っぽい。「そのうち復活するかも」とそのまま仕事へ。

そして帰宅時に聞いてみると、「音が出ている。」助かった。

しかし、異変を感じたのは、充電いっぱいだったハズなのに、充電マークが赤色に。
そして、普段なら、1時間程度で(…適当な記憶)フル充電できていたハズなのに、何時間経っても、ほとんど充電が完了せず、赤いママだ。。

調べてみると、水没させた場合は、まず電源を落とし、完全に乾燥させるまでは電源を入れるのはご法度らしいのだ。
「やってしまった。。。」

それでも一晩かけて充電していると、フル充電になった。
…が、案の定、約1時間程度、使った程度で、充電マークが赤くなった。
全然、使えないわけではないが、バッテリーがどうもヘタってしまったようだ。

家内がクロスワードクイズで獲得してくれてから、もう5年以上使っている。
近年、私が音楽を聞くのは、ほぼここからだし、製作した音楽の試聴もここ。
それに、自宅での個人練習のオケもこれだし、スタジオ練習でドラマー不在時も打ち込んだドラムをここから鳴らしている。
仕事の際には、タイマーとしても使ってるし。。。

さて、どうしたものか。。。 なけなしの金をはたいて別のを買うか…。

それにしても、わが身だけではなく、いろんなモノが壊れるなぁ。。
まぁこれは完全な“自己責任”ですが…。

ところで皆さん、もしもipodやipad、スマホなど、間違って“チャッポン”しちゃった時は、、とにかく、すぐに電源を落として、完全に乾燥するまでは、電源ONは控えましょう!! (宮本)

例の眼のピクピクは、施術4日後に止まったようなのだが、なんと表現していいのかわからない違和感があり、何だか不調。その上に今日は腹痛に苦しめられた1日であった。

であるが、明日は仕事なので、力を振り絞り、ブログの更新を。
「私のヴォーカル列伝」もvol.10までいったのと「レベッカ復活」にも影響を受け、少し視点を変えて“女性編”を新たに展開したい。

話は40年前くらいに遡る。
1975年12月。私が小学生5年生の時に、4枚目のシングル「木綿のハンカチーフ」が大ヒットした。
当時、太田裕美は20歳だった。私がはじめてファンになり、それを公言した女性歌手だ。
この曲がすごく好きだったわけでなく曲としては、半年後の次のシングル「赤いハイヒール」の方が好きだった。
マイナーとメジャー、テンポが展開する曲というイメージはその時から思っていたが、、
今回、改めて聞いて気付いたのが、この曲も「木綿のハンカチーフ」同様、男女の対話形式の歌詞になっているのだ。
…なるほど、二匹目のドジョウ狙いだったのか。。。



男女対話式の曲というと、“バービーボーイズ”を思い出すが、これらの曲をKONTAと杏子で演ると面白い気がする。
…ちょっと(かなり?)ドロドロした感じになるか。。。

それから、約6年後。
高校3年生の時に当時よく買っていた“Lマガジン”で当てた招待券で京都へ太田裕美のコンサートを見に行った。
当時は何かもうすごく“おばさん”のコンサートを見に行ったように思っていたが、まだ太田裕美さん、27歳だったのだな。

この時の太田裕美の清楚さや京都の街並みになんか惹かれて、京都の大学に行き、そこに住みたいと思うようになった。その意味では、私の人生に影響を与えたアーティストであった。

では、この人の曲で一番好きな曲(このあたりの楽曲は、ほぼ作詞:松本隆、作曲:筒美京平である。)「九月の雨」をお聞きください。



この人はもう60歳になったが、雰囲気の変わらない人だなぁ。

その京都の学生安アパートで数年を過ごした頃、なぜか浪人生が入居して来た。
かなり男前だったが、変わった男だった。頭がいいのか、イカれてるのか、、傲慢なのか、大物なのか、単に世間知らずなのか。。妙に懐いてくるものの、どこか大学生である我々を見下しているようなところもあった。
ある日、私が愛聴していた「太田裕美ベスト」のテープを「受験勉強」のモチベーションを上げるために、貸して欲しいと言って来た。
快く貸して上げたのだが…、、ある日彼は、突然姿を消した。…私の“太田裕美ベスト”と共に。。(宮本)