本日 169 人 - 昨日 233 人 - 累計 601624 人
  • 記事検索

RSS
AI第6弾は先週の続き。

20年ほど前に、インディーズ系の何だかよくわからないところに作曲オーディションを通過し、所属させてもらったことがあるが、そこでは、①詞先がメインだった。
高校時代に友人が書いた詩に「曲をつけてくれ」と頼まれて数曲創ったことがあるが、これはなかなか難しい。

ここでは、作詞家として所属している人の歌詞が送られて来て、それに曲をつけるコンペをやっていた。
歌詞をみて、このあたりがサビで、Aメロ、Bメロになるのかなとアタリをつけて曲を書くのだが、どこがどうなのかサッパリわからないのも時々ある。
なかには、そもそも曲がつくことを前提に書いているのか疑問になるものもあった。
あえて、メリットを言うと、うまくいけば、ちょっと毛色の違う曲ができたりする可能性があるのと、メッセージ性の強い歌詞を書くことができるという点があるかもしれないが…。
私、そういうのあまりないので…。 これは①詞先というやつ。

上記の頃に数曲創ったストックはあるので、何曲かは、歌詞を自分のモノに書き直した(…この時点で曲先になるのか?)ものもある。いい曲を創るのは難しい気がするが、私の曲の中でもやはり少し毛色が違う。

この曲なんかは、ご本人によると、そうらしい。



今の私はトリックハウスの島田さん作曲のモノは、③アレンジから曲先だが、
それ以外はコンペ挑戦ということもあり、②歌メロからの曲先というやつがほとんど。

大学生の頃は、ギター担当だったバンドでは、合わせ技みたいなところがあったが、ギターリフ以外は歌メロから、コードをつける。しかし、繊細なコードとか楽典とか知識がない。
後輩にある曲を「サビで転調2回していてスゴイですね。」とか言われたが、「え? そうなの?」って答えて、愕然とされたことがある。それが転調してることにも気づいてなかったのだ。

しかし、これなんかは、うまくコードを探せたのかもしれない。
社会人になってからは、歌メロを思いついたら、録音しておいて、あとからコードをつけることも多くなったので、完全に曲先。
いい歌メロと思っていたのが、コードを当てはめたところ、ずいぶんグレードダウンしてしまうことも多い。
無難にコードをつけてしまい、歌メロを平凡に修正してしまっているのかもしれない。
また、歌詞を入れたところ、メロディーへのノリが悪かったり、、
要するに最初に思いついた歌メロから、作業を進めると、どんどん減点されてしまう感がある。

最近は、歌詞のネタ不足が悩み。特に作曲コンペとなると、短時間での作曲の中で、仮歌詞という位置づけで歌詞を書くので、安易に歌詞を創ってしまう傾向がある。それでも、不思議なことに、魅力のある曲にはいい歌詞が浮かんでくる気がする。

作曲のやり方は、どれが正しいということもないと思うが、、
それぞれ、良さも、難しいところもある。私の場合、詞先は少し厳しいモノがある。
歌メロ主体にはなってしまうのだが、アレンジ力が乏しいので、アレンジやリズムから考えるやり方をもっと取り入れていきたいなと思っている。
なんか、画期的な作曲法はないものか…。
そして、浮かんだ歌メロをちょっとした想像だけでAI(また、AIかよ…)でアレンジしてくれる安い作曲ソフトが出来ないものか…。
まぁそんなものができたら、作曲家なんて、いらんか…。(宮本)

ギターで作曲第5弾は、テーマに“手法”などと書いてしまったが、手順みたいな感じのことを今回は書きたいと思います。

まず、本題ではないが、ここ6年くらい、コンペに挑戦するようになって、
都度都度、それに合わせて曲を書いたり、自分の既存曲をアレンジし直したりしてるのでやらなくなったが、私のソロ作品のページ「秘宝館」にあるようにアルバムを作成するという体で、曲を書いていました。
メリットは何かというと、1曲目にふさわしい曲とか、この辺でバラードとか、バリエーションを考えて構成することでトータルのコンセプトを持ちつつ、いろんな曲を書くことを意識できるから。
これも、またやりたいけど、1度コンペに出しちゃうと、どんなに私の曲のレベルが低くて、採用される見込みなどないとしても、ちゃんと返却されるまでは、公開できない。
そして1度、公開してしまった曲は、コンペでは使用できないなどがあるのが、悩ましい。

さて、本題!
あくまで、歌モノということでは、曲、歌詞、アレンジという3要素で考えてみると、
①詞先 ②歌メロから曲先 ③アレンジから曲先 大きくはこうなる。

さて、私の長いだけの作曲歴をたどってみると、
私は15歳から作曲をはじめたのだが、高校生というか十代の間は、ギターを持って、コードを弾きながら、歌メロ、歌詞も考えつつ、曲を創っていた。
アレンジなんて、無いも等しいので、ほぼ同時、ラジカセの前で歌って録音して終わり。
前もって、メロディーのアイデアを思い浮かべるなんてこともなかったと思う。
となると、コードから考えていたとなると、上記の③になるが、ほぼ同時に①も②もやっているので、のっけからハイブリッドな作曲方法をとっていたことになる。
利点としては、歌詞のメロディーへのノリがいいことだが、かなり時間を要するし、どんなに時間をかけても何もできないことも多い。高校時代にそこそこまともに学校に行き、柔道部もやり、バンドもやり、土日の夕方は、野球をやって遊んでいたのに、なぜそんな時間があったのか不思議だ。
まぁ、よほどコードの研究をしない限り、曲調がワンパターンになりそうだ。

曲作りにターニングポイントが訪れたのは、大学のサークルで結成したバンドでオリジナルをやることになった時だ。
私は当時はギター担当だったので、要するに歌うのは私ではない。
簡単な(…というか簡単なのしか弾けない)ギターリフから、後付けで歌メロや歌詞を考える。
トリックハウスでは、島田さん作曲の曲では、最初にオケのDEMOがあり、そこに歌メロ、歌詞を入れていくので、ある意味、それに近いかもしれない。要するに③アレンジから曲先にあたる。
この時代、自分のキャラにない歌詞を書けたり、自分では歌えないような曲を掛けるという意味で幅が広がった。

またこの方法、歌メロだけで曲を表現するのでなく、楽器演奏、アレンジも含めての意識ができるのもメリット。
曲の中では、歌がない隙間があるので、実際、バンドで歌唱すると比較的、楽。
自分で作曲したものは、歌で埋めてしまう傾向があるので、ブレスが辛い時が多い。
この作曲方法は、自分で曲を創る時も、今後、取り入れていきたい要素だ。

割とハードロックは、こういった曲創りをすることが多い気がするが、DTMなどで作曲する人も、サウンドから構築することが多い気がする。

たとえば、こんな曲…。



このような曲を創った人が、どう作曲されたのかわからないが、あくまで私の個人的見解としては、歌メロだけから考えたのでは、出て来ないだろうなと思ったりするのである。
長くなりそうなので、この先は次回へつづく… (宮本)

酸素濃度計先日来、ここでも少し書かせていただいておりましたが、娘が大腿骨骨折で入院しております。

わが娘は生来、障がいがあり、視力もなく、歩くことはおろか座ることもできない。
30kg近くある赤ちゃんみたいな感じなのですが、数か月前から、座ることを目的としているわけではなく、背骨の側弯を解消することを目的としたリハビリとして、胡坐座位を5分ほどしていました。
もちろん自分の力では座ることはできないので、補助があってのことです。

最初は5分でもかなり嫌がっていたものが、だんだん慣れてきて、10分が可能になったりし、手ごたえを感じていた矢先、骨折を経験したことのない家内でもそれとわかるくらいの音が鳴り、骨折しておりました。特に大きな衝撃や力が加わったわけでなく、普段歩くことのない脆い状態からそれなりに負担だったのでしょう。
良かれと思うことも、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということですね。

ちなみに、私も骨折経験がなく、高校時代柔道部で、右足の親指をゴキっとやって、2週間程度、練習をウェイトトレだけにした時がありましたが、気が付いたら、曲がったままになっており、もしかしたら、折れてたかも?? と思った程度の経験しかありません。

救急車で運び込まれた病院で骨折が判明し、最初は手術による治療方針を示され、その予定まで決まっていたのですが…。
最近、コロナ禍で注目されている酸素飽和度。
通常は、98%とか、、96%以上が正常値ですので、95%以下は呼吸不全の疑いありとなります。
なんでも1分間呼吸を止めると、90%くらいになるというから、それくらいの苦しさ。
ですが、娘は通常、87%程度。70%台くらいになって、心配かなというくらいなのですが、ここが、手術時の全身麻酔に対するネックとなり、手術が中止に。自然治癒を目指すことに。

その後、本来、メインの大阪府立母子センターへ転院し、一転、手術実施へ、日程も決まっていたのですが、やはり前日になって、手術回避の方向となりました。
紆余曲折ありましたが、娘にとっては、第二の故郷ともいえる場所に移り、熱も下がり、表情もご機嫌な模様。
2か月ばかりはかかるようだが…。
しかし、レントゲンを見る限り、自然にくっつくようには見えないのだが、あれがくっつくのだとしたら、人間の体は不思議なものだ。
ミュートマイクそれはそうと、平日は家内が、電車で片道2時間近くをかけ、コロナの影響で1時間限度で面会しています。彼女も頑張りすぎるので、1時間という制限は不幸中の幸いかもしれません。
土日の休日は、私が車を運転し、面会に行ってるので、目下の悩みは、歌の個人練習の時間が無くなってしまったこと。4月に入ってから、練習ができたいない。
トリックハウスのスタジオ練習再開も延期になっている状態だが、そこに向け、それなりに上げて来た状態が、失われてしまう可能性もある。午前中は声が出にくいし、夜中は近所迷惑だ。

う~ん、ここは練習量を増やすために、平日夜の練習のために復活を考えていたところでしたが、、
ミュートマイクがメインの練習の秘密兵器として活躍する時が来たかも??? 
でも、まぁ「過ぎたるは及ばざるが如し」ともいいますので、
人間、頑張りすぎると、もっとダメになることもありますので、ほどほどに頑張ることにしよう!!(宮本)

市立尼崎いや~、センバツは、予想だにしなかった東海大相模と明豊での決勝に。
私の予想は、初戦16試合中14試合を的中させたが、その後、ボロボロに。
まぁ本当はそんなことは小さなことで、無事に開催できたことが何より。
日曜日がすべて雨で中止になったため、ほとんどTV観戦もできていないが、あらかじめ録音した応援曲の音源(1校10曲登録)を元に“甲子園DJ”が試合展開により場内に音声を流していたらしい。
(録音作業が間に合わない出場校は、地元兵庫県の市立尼崎高吹奏楽部が収録した応援定番曲を利用)

TVを観てる分には、まったく違和感がなく、見事だった。

ところで、私事ながら、4月4日ということで、私も実に57歳となりました。
このところ、自分の年齢がわからなくなる時もある。

誕生日がめでたくないものになってから、ずいぶん経ちますが、ここのところ、年が増えるのを嫌とも思わなくなった。
それはポジティブな志向ではなく、もう少し若いころは、年齢に対する自分の理想とか成し遂げていることが年齢に追いつかなくなっていく焦りとかもあったかもしれないが、今は、もうそれらが視界から消えてしまったので、どうでもよくなったというのが本当かもしれない。

あと3年で還暦となり、若いころは、60歳まで頑張ったら、あとの余生は、
好きなことをして過ごそうと思っていたが、国家的詐欺ともいえる年金スタートは65歳から…。
まだ延びるかもしれない。それまで何とか仕事を得て、生きていかねばならない。

それでも“無為徒食”に生きている私、生かしてもらってるだけで感謝しなくてはならない。
北の国からこの1年多くの方が亡くなったが、田中邦衛さんも。
ビデオレンタル店で勤務している時に、アルバイト君に「泣けるビデオ」を紹介してもらったのが、昨日、追悼で放映された「北の国から'87 初恋」。ボロ泣きして、見てなかったドラマを最初から観た。
ある意味、ドロップアウトした生き方、、年齢により感じ方は変わるかな??
もう1回、最初から観たい作品ではある。

また、少年時代に熱中した、「キックの鬼」沢村忠も。。

そしてギターリスト和田アキラも。
高校生の頃、友人のおじさんが勤務するラジオ局に遊びに行き、サンプルレコードを入手した中に和田アキラの「ギター教則レコード」があった。
当時、エレキギターを持ったところだった。
なんでも、B面はギターカラオケになっており、ギターが上手くなりたい人は、A面に合わせて練習し、B面に挑戦しろとあった。。
私には、「弾けるものなら、弾いてみろ!」と聞こえたが…。
逆にギターを上手くなろうという気持ちが消えたレコードだった。
曲は名曲ばかり、1曲目の「MORNING LIGHT」や3曲目の「LOVE ME」の方が、有名ぽいが、私はアップテンポの2曲目「SPACE SHUFFLE」や4曲目「VOYAGER」が好きでした。。。



このレコーディングメンバー ベースは渡辺健、キーボード中村哲、そしてドラムが村上“ポンタ”秀一。
ポンタさんも先日、お亡くなりになり、、寂しい限りです。
確か、2017年にわがトリックハウス、大阪の「PAGE ONE」というライブバーで演奏させていただきましたが、その前週に和田アキラさんも演奏されていたようで、同じところに立てると思うと、感激でした。。


コロナも少し下火になったかと思えた時、わがトリックハウスも再始動ににわかに動き出したのですが、ここに来て、感染者拡大で“マン防”、、、もう少し“シン抱”ですな、、、

私といえば、娘の大腿骨骨折により、休日も病院三昧。手術中止⇒転院⇒ヤッパリ手術と、事態が二転三転してますが、それは、また今度…。(宮本)