今日で2023年夏の高校野球の地方予選が終わり、49代表校が決定した!それにしても、危険な暑さの中、野球するのも大変だ。。。
今年は自信をもって予想し、今までの予想的中率を大きく上回り、自己記録も大きく更新!
…のハズだったが、ネットでも話題になっているように各地で波乱が起こり、
強豪校が次々敗れていった。。。私の予想も、、当然大きく狂い、、
ただ、今までの最低記録が17校的中、最高が22校だったが、波乱とはいえ、18校的中という結果。。
まぁそもそも、「高校野球とは波乱なり」こんなものでしょう。。
しかし、中学時代の有名度から言っても、大阪桐蔭、今年は相当強くなるのではと思っていたが、特に打線は、苦しんだようで、大阪大会で本塁打数も1本のみ、そして今日は履正社に完封負けとなった。
相手が履正社では、波乱ともいえないが、今年を象徴する地方大会最終日となった。
延長10回からタイブレークが導入されたのもあるかもしれないが、、
地方大会から、好ゲームが多かった。
うち4つがなぜか関東。
1.栃木「作新学院vs文星芸大付 」
フライングガッツポーズが話題になったが、試合終了と思ったら、ボール判定。
その後、9回表に、4失点で追いつかれるが、その黒崎捕手が、9回裏にサヨナラ弾。
2.茨城「土浦日大vs霞ケ浦」
霞ケ浦のプロ注目木村投手に押さえられ、0-3で敗戦濃厚だった土浦日大。
9回表に一気に5点得点。
3.千葉「習志野vs専大松戸」
5-7とリードを奪われていた専大松戸。8回に同点に追いつき、9回にサヨナラ。
4.神奈川「慶応vs横浜」
ベースを踏んでたか離れてたかで、誤審騒ぎになってしまったが、
9回表、3-5で劣勢だった慶応が件の直後に3ランHRで逆転。
5.鹿児島「鹿屋中央vs神村学園」
4-4でタイブレークとなり、10回表、鹿屋中央が1点を挙げるも、
同点のあと3ランでサヨナラ。。
このほかにも見ごたえのある試合が多く、甲子園でも期待大だ!!
それにしても、こういった場面で本塁打を打てるとはなぁ。。
私も一生で、一回でもそんな体験をしたかったものだ。。。
私といえば、娘の熱が下がらず、入院してもよくならず、原因もわからずから、
CT検査の結果、肺膿瘍ということがわかり、左肺の中に5cm大の膿があり、
肺の周囲にも水が溜まっていることが判明した。
抗生剤で様子をみたが、まったく改善せず、、明日、手術となった。
無事手術を終えられるのか、、それで改善するのか、娘の体力が持つのか不安ではあるが…。
ここは祈るしかない。。
ここのところ、休日は病院通いで、結局バーチャル高校野球も観れず、、
手術の結果がよくとも、当面は病院通いが続きそうだ。
という私自身も、先日の健康診断で、HbA1cが、一昨年の7.0、昨年6.6と改善したかと思えたのが、今年は、7.6になり、肝臓のALTが、35で脂肪肝と言われていたのが、今年は70になり、要精密検査に。
通院している病院にそれを持参すると、先生に「いったい、これは何が原因?」
「思い当たることを言ってみなさい!」そして、「これは“ゆるみ”だよ」と、、、
すごい早口で怒られた。。。肝臓のほうは先生、気づかなかったのかスルー。
私も、ちょっと言い出せなかった。。。
バンドの方針も、私の自分への戒めもあり「ゆるく、ゆっくり、無理をせず」としているが…。
確かにアイスクリームを食べるし、お菓子も食べるし、ストイックな食事はしていないから「ゆるい」と言われればゆるいが…。
タバコも酒もやらない私。。健康診断の数値は、、なんか納得がいかない。。
それでも休日、娘の病院から帰宅すると、球児に負けないように、空調のない私の個人練習場で36度近い室温の中、歌の練習はしているが、、、こっちもなかなか改善しないなぁ。。やっぱりまだまだゆるいのか…。(宮本)
巷で話題になっているように、波乱が続いている。。。
元々、私の予想にしても何年もやっていて、50%も当てられないのだから、そういうものともいえるが…。
まず、最初の衝撃が、智弁和歌山が、和歌山大会の初戦敗退。
センバツ優勝校の山梨学院、準優勝校の報徳学園も敗退。
なんでもセンバツの優勝校、準優勝校とも夏の大会に出場できないのは18年ぶりらしい。
また、東海大菅生、東邦と、甲子園に出場すれば、いずれも優勝候補に挙げられるだろう学校が、地方大会で敗退した。
まぁ報徳を降したのが、神戸国際なので、対抗馬の強豪で波乱ともいえないが、
その神戸国際も神戸第一に9回二死まで、1-2とリードを奪われ、同点に追いついたあと、タイブレークの末、準決勝進出。
そのほか、私の予想で出場を予想した能代松陽、三重、明徳義塾、長崎日大、日南学園、鹿屋中央など、すでに20校が姿を消した。
これでは、50%は無理だな。。“波乱”と言われない年でも50%も当てられないのだから、どこまでハズレるか??
今日、特に印象に残ったのは、京都大会 準々決勝 。
京都成章の田崎投手は、龍谷大平安を9回裏二死までノーヒットノーランに抑え、1-0で勝利するかと思われたが、
初安打が同点打となり、10回タイブレークで2安打目がサヨナラヒットとなり、敗退した。
昨日は、昨秋、東北大会で敗れたとはいえ、仙台育英に1-2の接戦。
出場したセンバツでは、初戦、石橋を2安打完封した森岡投手は、次戦で大阪桐蔭に0-1で敗れたものの、2安打1失点と苦しめた。もう1度、甲子園で観たかったが、、秋田大会準々決勝で秋田商に2-5で敗退した。
森岡投手は、プロ注目の逸材と言われているが、ご本人は、「野球は高校まで」と言っているそうだ。。
ところで、我が家でもちょっと波乱が…。
原因不明の発熱が3週間も続き、入院している娘だが、胸の音でも、レントゲンでも判明しなかったが、CT撮影により、左の肺に5cm大の膿があり、肺の周囲には、水(膿かも…)が溜まっているとか、、
判明直後は、緊急手術という話になったが、結構、たいへんな手術になり、それに耐えうる体力がないのでは??
ということで、抗生剤でしばらく様子を見ることになった。。。
今まで、再三、窮地を乗り越えてきたが、約7年ぶりのピンチを迎えた。。
いずれにしても簡単ではなさそうで、長引きそう。。
しばらく、休日は、私も病院に通うことになりそうだ。。。(宮本)
身長はちょっと縮み、体重は昨年の健康診断以来の1年ぶりの最低値に持っていったので、、まぁやれることはやったのかと…(笑)
それはいいとして、娘の3週間に及ぶ発熱の原因が、血液検査や内科的検査を行っても判明せず、結局、光明池の病院に入院して、検査を行うことに。
そこから1週間を経過したものの、心臓をはじめとする循環器も以前の大腿骨骨折の治癒具合も含め、
まだ原因不明、、、この3連休は、土曜日の母の病院の付き添いも含め、病院通いで終わりそうだ。。
そんな中、病院へ向かう車中から観る景色がやたらときれいだった。
空気が澄んでると、こういう風に見えるんだな、、、少し感動。
病院の駐車場から観た青空もこんな感じ(画像)、、
その青空を観て、ふと思い出しのがこの曲。
私の小柴大造さんに次ぐ師匠である織田哲郎さんの「青空」
シンプルな曲だが、ノスタルジックでもあり、アジテーションぽくないのに元気になれる曲だ。
織田哲郎さんとの出会いは、意外にもShow-yaの1stアルバム(1985年)に入っていた「MADO」という曲。
地味目の曲だったが、とても気に入って、作曲者:織田哲郎が気になり、レコードレンタルで1986年に発売された織田哲郎の4thアルバム「LIFE」を聞き、どハマりした次第。同年大ヒットしたTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」以降、誰もが知るヒット曲を連発した。
ZARDの「負けないで」をはじめとした多くのヒット曲、相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」、大黒摩季「チョット」、B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」、中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」、WANDS「愛を語るより口づけをかわそう」「世界が終るまでは…」などなど、まだまだあるが、キリがないので、こんなもので。。
でも、これらのヒット曲より、「LIFE」以前の、ソロ作品のほうが、私は好きだ。
「青空」は、これらのヒット曲よりあとの1998年の作品。
どの曲にも織田哲郎らしさはあるのに、不思議とソロ作品と提供している曲にはどこか差異がある。。
織田哲郎は、その後の2000年にスペインで強盗に襲われ、背後からいきなり首を絞められ声帯を潰された上、
声帯まわりの軟骨も変形、元の声が出なくなってしまった。
「懸命にリハビリを続けても、シンガーとして人前で歌うレベルに回復しなかったが、
歌い方を変えて翌年のファンクラブのイベントで披露した際は感無量で涙が出たという。この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという」とウィキペディアにある。
そして2022年。
1983年に亜蘭知子に作曲した「MIDNIGHT PRETENDERS」をカナダの大物アーティストであるザ・ウィークエンドがサンプリングし、
シングルとしてリリースした「Out of Time」は、同年1月22日付の米・Billboard Hot 100で32位を記録。
ヒットメーカーにしては、国内ではマイナーだった曲が時を超えて世界中でヒット。
それを受けて、自ら弾き語りをされている。
人も曲も、どこで何があるかわからないし、幸不幸が、どう巡るかもわからないものだ。。(宮本)
なんとなくTVを観てると、「サザエさん」がやっていた。
ちょうど電話のシーン、“公衆電話”から電話するフネさん、それを自宅で電話をとるサザエさん。
なんと“黒電話”である。。まだ設定は昭和なんだな。。
日曜日の18:30~、誰をターゲットにしているのか? 時代に迎合せずに孤高の作品を目指しているのか?
それとも、もはや現代劇ではなく、水戸黄門亡きあとの、時代劇の域を目指しているのか??
今の子供たちがどう見ているのか気になるところだ。。
ところで黒電話はいつまで使っていたのだろう?
1985年ころから切り替わりはじめたそうなので、そこから数年は黒電話を使っていた気がする。
1987年に入社した会社では、既にプッシュであったのは確かだ。
ちょうど、昭和とともに消えていったのだろう。
そして携帯電話を持ったのは…。
28歳の時(1992年)に店長をしていた店ではポケベルを持たされていた。
30歳くらいで、企画部でチラシの制作をしていたが、同時に地方の店に出張していることが多く、やり取りが出張先。。
印刷会社がチラシの進行で連絡の取りづらさで困り、「経費を出すから、携帯を持ってください。」と言われたことがある。
なかなか、携帯を持つのを渋っていた私だが…、
それから数年で自分の携帯を持った。しかし、そこでのメールにはなかなか手を出さず、
「電話は電話、メールはメール」と言ったら、「ラストサムライ」と同僚に笑われた。
話は遡るが、私は25歳で、PCを購入し、オリジナル曲のアレンジをPC(DOS-V)で始めた。
多少は文字も打った。。これは結構、世間より先駆けていたハズだ。
その3年後くらいの前述の店長時代、、店長会議の膨大な資料作成はみんな手書きでやっていたが、
これを文字入力して作成してきた先駆者がいた、、が、部長に「言霊が…」と言って怒られていた時代である。
先駆けたハズだったが、私の音楽制作環境は、どんどん時代に追い越されていき、、
今ではまったく追いつけなくなってしまった。。どこで、間違ったのだろう。。。
今では、スマホもPCも生活に無くてはならないモノになってしまったが、
特にスマホは使いこなせていない。
しかし、自分の少年時代~若いころから そういうのがあったら、どうだったのだろう??
周囲との関係性、逆にたいへんそうではあるなぁ。。。
すぐに思い出すのが、1987年にトリックハウスベースの金村さんと約束していて、
そこに向かう途中、交通事故を起こし、取り調べを受けるハメになった時と、、
さらに、その翌年、入社後はじめてもらった土日休みでこれも金村さんと約束していたのだが、
天皇崩御により、TVのドラマやバラエティが中止になり、当時勤めていたビデオレンタル店がパニックになり、
「今すぐ来い!」と呼び出されるハメに。
どちらも、自宅に連絡するも、本人には連絡できなかった。。
この時に「携帯があればなぁ。。」と今でも時々、申し訳なく思う。。
入社後、九州に配属になったり、夜勤ばかりだったり、土日休めなかったり、、、
疎遠になった友人、心が離れてしまった人、、、今の通信方法があれば、もしかしたら、違っていたのかな??
なんでもうまく使いこなせなかった私、、たぶん、“結果”に大差はなかったか…。(宮本)
ようやく娘の体調は戻りつつあるが、今度は家内がその看病の疲れか左背部の痛みを訴え、、
日曜の救急医療に連れていくも、原因不明。。母は右手首を骨折中。。。
家族は満身創痍で、、健康(?)なのは、私だけ。。
休日も、病院やら、買い物やら、掃除やら、なかなか忙しい、、
私はこれでも、元々「外で働いていることがえらい」と思うタイプではないが、
家事も大変やなぁ。と思うこの頃。。
うちの家族の微妙な健康具合が崩れるだけで、いろいろ不具合が生じてくる。
まぁそんなこんなもあり、休日もまずまず忙しくて、録りためた6月終了ドラマも半分も観れないまま。。
7月になってしまった。。大河ドラマと朝ドラは、なんとか追いついているが…。
私が観ているのは、「ラストマン~全盲の捜査官~」「風間公親-教場0-」「それってパクりじゃないですか?」
「合理的にあり得ない~探偵・上水流涼子の解明~」今回は、面白そうなのが多かったが、
野球も観ないといけないし、、、これでも絞ったほうだ。
また、今度は各ドラマやその他アニメについても書きたいと思いますが…。
ちょっと心に引っ掛かったのが、「風間公親-教場0-」。
以前のシリーズはまったく観ておらず、その以前の話ということで観た。
人気シリーズではあったが、教官と生徒という関係性では人気を博したが、上司と部下という関係では、
「パワハラやん」という受け止め方をされ、評判は芳しくないようだ…。
キムタクのドラマは、以前は、キムタクのヒーローぶりを周囲の俳優が盛り立てるだけのように思えたが、
このキムタクはなんかいい感じだ。刑事モノとしては、ちょっと強引な展開ではあるし、
こんな上司にあたると嫌だろうけど、2回放送程度で変わっていく部下役を見送る際に言う言葉が、
それまでが理不尽といえるまでに厳しすぎるところからいうと、その分、胸に来るように思う。。
で、そこでかかるこの曲、、なんかピッタリですな。。
私も社会人としては、かなり理不尽な目に合ってきたが、
人生で一番、怒られたのは、中学時代の吹奏楽部だったと思う。
もう45年くらい前のことだ。
怒鳴られ、3階にあった音楽室の「窓から飛び降りて死ね!」とまで言われた。
スティックで頭をボコボコ殴られ、スティックが折れれば金槌の柄がそれに代わり、
タンコブの上にタンコブが出来るのが、漫画の世界だけではないことを知った。
下手くそだったのに、トロンボーンという大音量の楽器を平然と吹いてしまう私なので
指導者としては、そりゃ腹が立ったことだろう。
「音楽ってこんなに嫌な目をしてやらないといけないのかな??」と当時も思ったし、
そんなに怒られても、怒られなくても、上達具合は、あまり変わらなかったのではないかと思う。。。
ただ、3年生になり、希望する高校に地区制の問題で担任の先生にも周囲の先生にも希望を変更するよう圧力をかけられる中、
「自分の思いを貫け!」と言ってくれたのもその先生だし、、、
3年生の11月まで部活は続けていたが、引退の時に、「やっとまともに吹けるようになったと思ったら、引退か…」と
言ってくれた時の声はやさしかった。
私が、高校で、柔道部に入った話を母校を訪れた吹奏楽部時代の仲間たちが、
当時やせっぽっちだった私を「あいつ大丈夫か?」と笑っている中、
「宮本は根性あるから、何やっても続くよ」と言ってくれたのも、その先生だった。。
なんか、、「風間公親-教場0-」の“見送り”場面を観ていて、その時のことをふと思い出した。。
パワハラとか、部活の体罰とか、、絶対ダメだし、私はそれで全然、上手くはならなかったと思う。
今の風潮は、もちろん良い流れだと思う。
ただ、アレを耐えたという自分への信頼感はあるので、その先生の情熱を尊敬こそすれど恨みに思うことはなかった。
そこは、なんか不思議なところだ。。
私?? 「褒められて伸ばされたいです!!」(宮本)