整体に通うも一進一退のまま、なかなか痛みが取れない右肩だが…
今朝、洗面所にスズメバチとミツバチの中間くらいの蜂が、壁の上部にはりついていた。。
「刺されたら嫌だな、、、」 殺虫剤だと、一気に殺せないので、ヤバイと思い、新聞紙を丸めて思い切り叩いたら、殺害には成功したが、右肩に激痛が走り、、またぶり返してしまった。。。
それはそうと、自分たちのライブのこともあり、ここで話題にしてなかったが、
内田裕也氏が亡くなった。 樹木希林が亡くなった際に、、だいぶ衰弱はされていたようだったが…。
正直、この人の歌をほとんど聞いたことがないし、音楽的には、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALの主催者というイメージが強い。
いくつかの映画にも主演しているが、ちゃんとみたことがない。。(「コミック雑誌はいらない」は観たと思うのだが…)
一番印象に残ってるのは、「ブラックレイン」に出ていたこと。。
それぐらいのことしか、知らない…。
だが、私、この人の前で歌ったことがある。
ここでも確か書いたことがあるが、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALの17回目のアマチュア出場枠のオーディションがあった。
その募集要項だが、17回目ということで、メンバーに「17歳がいること」というのが条件だったが、自称でもよく、何かこじつけで何かが“17”でも良いようで、、要するに何でもよかった感じ、、、
そして、「応募者の人権は一切無視する。文句がある奴は安岡力也が相手をする」と書かれていた。。
もちろんジョークだけど(…だぶん)、今ならどうだろう?? ある意味、、“いい時代だったな”と思う。
17歳の頃からオーディションは受けていた私だったが、、テープオーディションさえ突破できたことはなかった。
当時、25歳。はじめて、“通過”の連絡来た。。。かなり突然だったが、心斎橋ミューズホールでライブ審査を受けることになった。
「…さて、困った。」この時、やっていたバンドは自然解散状態、、次にやろうとしていたバンドはまだ始動していない。
私個人で送った「City Eyes」「Control Society」という2曲で通過した。
慌てて、少し迷ったが、これからやろうとしているメンバー4人でこれに挑むことにした。
メンバーは私のソロコーナーMOMのギター、アレンジャーの武内氏と、現トリックハウスの金村さんがベース。
ドラムはわがトリックハウスの創始者であり、名付け親の島本さんだった。30分だけスタジオで練習して挑んだ。
バンド名を何かつけたのか、、私の個人名で出たのか、記憶が定かではない。。
当日は10バンドくらいが呼ばれていたが、福岡や名古屋からも来ていて、西日本大会的な様相だった。
裕也さん、、なかなか現れず、、結構、長時間待たされた。
登場した時は、やはりオーラがすごかった。。各バンドのメンバーはもうハイテンションな感じ。
各スタッフのピリピリ感もすごかった。。。
当時の風貌は上の写真のような感じ。
冒頭、裕也氏の挨拶。。まずは、、「ブラックレイン」が封切られた1989年の11月か12月初旬頃だったが、同年11月初旬に亡くなった松田勇作への黙祷からはじまった。。
挨拶は、、途中で、本人も話の筋を見失われたのではないだろうか?
なんか収拾がつかなくなった感じだったが唐突に、、あの“よろしくロックロール”で締めくくられた。。
オーディションがはじまった。。うちはラストの10番目。
他のバンド、、上手い…というか、ライブ慣れしている感あり。。
ふと見ると、島本さんがいない。。見渡すと、裕也さんが座っている席の後ろに立っている付き人(バックバンドのギターリストのよう)の隣に立ち、その人と話している。「積極的やな。。」と思ったら、、
あとで聞くと、学生時代のバンド仲間だったよう。。その事にもびっくりだが、、、普通、、バンド仲間に「あっ知り合いや」とか何も言わずに、、そっといなくなっていたのにビックリした。
3バンド目くらいから、裕也氏乗ってきたのか、、「ちょっとバラードもやってみて」とか、、5バンド目くらいから、「これからのバンドは、5曲くらいやって」とか言い出す。。。自由やなぁ。。
当然のことながら、我々は、、2曲しかできない。。。「ヤバイ…」
だが、しかし、、とにかく“緊張しい”の私だったが、開き直ってたのか、、そんなに緊張していなかった。
自分たちの番が来た。。。立ち上がろうとした時、、、「足が無くなったのではないか?」と思うくらい、、
感覚がない。。実は、最高潮に緊張していたのかもしれない。。。
ステージに上がる前にスタッフの一人に、「すいません、僕ら2曲しかできないんですけど?」って言ったら、そのスタッフが小声で、、「裕也さんに直接言って」と言うので、、マイクでそう言うと、、裕也氏が、「君が宮本くんか?」と言って来たので、「ハイ、そうです。」と答えた。
これが裕也氏と私の唯一の会話だった。
演奏がどうだったのか? まったく覚えていない。
たぶんあまり良くなかったと思う。。他のバンドの人が、、なんか呆然と見ている。
裕也氏は他のバンドの時は、いろいろコメントしていたが、、、「ハイお疲れさん」とだけ言うと、スタッフに「これで全部終わり?」と聞いていた。
その時に出ていた10バンド中5バンドくらいは、年末のライブに出演していた。
我々には合格通知は来なかった。
それから半年後、その新バンドは、BSヤングバトル大会のテープ審査に通り、
兵庫県大会に進出、、、神戸国際会館で演奏した。
そしてさらにその翌年には、裕也氏の前で演奏した「City Eyes」もこのようになった。
時々、裕也氏の前で演奏できるチャンスが、、もう少しあとだったら、、と思う時がある。
ただ、このバンドがあって、、島本さんとの出会いがあり、今のトリックハウスにつながっていると思う。
それにこの頃の作品の歌詞の世界は、「ブラックレイン」と同じ監督の「ブレードランナー」の世界観に影響を受けていると自分では思っていて、それはトリックハウスの第1曲目「Out Of Control」にも受け継がれている。。
裕也さん、、あの時、私の曲を聞いてくださり、ライブ審査に呼んでくれてありがとうございました!
合掌(宮本)
今朝、洗面所にスズメバチとミツバチの中間くらいの蜂が、壁の上部にはりついていた。。
「刺されたら嫌だな、、、」 殺虫剤だと、一気に殺せないので、ヤバイと思い、新聞紙を丸めて思い切り叩いたら、殺害には成功したが、右肩に激痛が走り、、またぶり返してしまった。。。
それはそうと、自分たちのライブのこともあり、ここで話題にしてなかったが、
内田裕也氏が亡くなった。 樹木希林が亡くなった際に、、だいぶ衰弱はされていたようだったが…。
正直、この人の歌をほとんど聞いたことがないし、音楽的には、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALの主催者というイメージが強い。
いくつかの映画にも主演しているが、ちゃんとみたことがない。。(「コミック雑誌はいらない」は観たと思うのだが…)
一番印象に残ってるのは、「ブラックレイン」に出ていたこと。。
それぐらいのことしか、知らない…。
だが、私、この人の前で歌ったことがある。
ここでも確か書いたことがあるが、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALの17回目のアマチュア出場枠のオーディションがあった。
その募集要項だが、17回目ということで、メンバーに「17歳がいること」というのが条件だったが、自称でもよく、何かこじつけで何かが“17”でも良いようで、、要するに何でもよかった感じ、、、
そして、「応募者の人権は一切無視する。文句がある奴は安岡力也が相手をする」と書かれていた。。
もちろんジョークだけど(…だぶん)、今ならどうだろう?? ある意味、、“いい時代だったな”と思う。
17歳の頃からオーディションは受けていた私だったが、、テープオーディションさえ突破できたことはなかった。
当時、25歳。はじめて、“通過”の連絡来た。。。かなり突然だったが、心斎橋ミューズホールでライブ審査を受けることになった。
「…さて、困った。」この時、やっていたバンドは自然解散状態、、次にやろうとしていたバンドはまだ始動していない。
私個人で送った「City Eyes」「Control Society」という2曲で通過した。
慌てて、少し迷ったが、これからやろうとしているメンバー4人でこれに挑むことにした。
メンバーは私のソロコーナーMOMのギター、アレンジャーの武内氏と、現トリックハウスの金村さんがベース。
ドラムはわがトリックハウスの創始者であり、名付け親の島本さんだった。30分だけスタジオで練習して挑んだ。
バンド名を何かつけたのか、、私の個人名で出たのか、記憶が定かではない。。
当日は10バンドくらいが呼ばれていたが、福岡や名古屋からも来ていて、西日本大会的な様相だった。
裕也さん、、なかなか現れず、、結構、長時間待たされた。
登場した時は、やはりオーラがすごかった。。各バンドのメンバーはもうハイテンションな感じ。
各スタッフのピリピリ感もすごかった。。。
当時の風貌は上の写真のような感じ。
冒頭、裕也氏の挨拶。。まずは、、「ブラックレイン」が封切られた1989年の11月か12月初旬頃だったが、同年11月初旬に亡くなった松田勇作への黙祷からはじまった。。
挨拶は、、途中で、本人も話の筋を見失われたのではないだろうか?
なんか収拾がつかなくなった感じだったが唐突に、、あの“よろしくロックロール”で締めくくられた。。
オーディションがはじまった。。うちはラストの10番目。
他のバンド、、上手い…というか、ライブ慣れしている感あり。。
ふと見ると、島本さんがいない。。見渡すと、裕也さんが座っている席の後ろに立っている付き人(バックバンドのギターリストのよう)の隣に立ち、その人と話している。「積極的やな。。」と思ったら、、
あとで聞くと、学生時代のバンド仲間だったよう。。その事にもびっくりだが、、、普通、、バンド仲間に「あっ知り合いや」とか何も言わずに、、そっといなくなっていたのにビックリした。
3バンド目くらいから、裕也氏乗ってきたのか、、「ちょっとバラードもやってみて」とか、、5バンド目くらいから、「これからのバンドは、5曲くらいやって」とか言い出す。。。自由やなぁ。。
当然のことながら、我々は、、2曲しかできない。。。「ヤバイ…」
だが、しかし、、とにかく“緊張しい”の私だったが、開き直ってたのか、、そんなに緊張していなかった。
自分たちの番が来た。。。立ち上がろうとした時、、、「足が無くなったのではないか?」と思うくらい、、
感覚がない。。実は、最高潮に緊張していたのかもしれない。。。
ステージに上がる前にスタッフの一人に、「すいません、僕ら2曲しかできないんですけど?」って言ったら、そのスタッフが小声で、、「裕也さんに直接言って」と言うので、、マイクでそう言うと、、裕也氏が、「君が宮本くんか?」と言って来たので、「ハイ、そうです。」と答えた。
これが裕也氏と私の唯一の会話だった。
演奏がどうだったのか? まったく覚えていない。
たぶんあまり良くなかったと思う。。他のバンドの人が、、なんか呆然と見ている。
裕也氏は他のバンドの時は、いろいろコメントしていたが、、、「ハイお疲れさん」とだけ言うと、スタッフに「これで全部終わり?」と聞いていた。
その時に出ていた10バンド中5バンドくらいは、年末のライブに出演していた。
我々には合格通知は来なかった。
それから半年後、その新バンドは、BSヤングバトル大会のテープ審査に通り、
兵庫県大会に進出、、、神戸国際会館で演奏した。
そしてさらにその翌年には、裕也氏の前で演奏した「City Eyes」もこのようになった。
時々、裕也氏の前で演奏できるチャンスが、、もう少しあとだったら、、と思う時がある。
ただ、このバンドがあって、、島本さんとの出会いがあり、今のトリックハウスにつながっていると思う。
それにこの頃の作品の歌詞の世界は、「ブラックレイン」と同じ監督の「ブレードランナー」の世界観に影響を受けていると自分では思っていて、それはトリックハウスの第1曲目「Out Of Control」にも受け継がれている。。
裕也さん、、あの時、私の曲を聞いてくださり、ライブ審査に呼んでくれてありがとうございました!
合掌(宮本)
昨夜は、十三246でのスタジオライブが無事(?)に終了しました!
土曜の夜という貴重な時間、、ご来場いただきました方、ありがとうございました!!
当日の演奏の模様は、また忘れた頃にアップするかもです。
今回は、まず“集客”の面で、「我々が演奏する時の“聞き手”は出演者のダダしかいないのではないか?」という心配もありましたが、何とか形になるご来場者があり、助かりました、、、
生来の口ベタなので、あまりしゃべらないようにして来ましたが、今回は時間に余裕があるということで、少々引っ張り気味にしゃべらせてもらったのですが、、、
あまりにも“ノープラン”すぎて、ウダウダになってしまいました。。。
その中でも“悔い”が残っていることが2つあります。
表題の「平成最後の…」という、今あまりにも“あふれ返っている”この言葉をあえて使おうと思っていたのに忘れていたのと、もうひとつは、“アメリカ旅行”ネタを急にふった上嶋さんが、、、
その感想を「アメリカは大きい…」としかリアクションできないことへ、、「アメリカ大きいの…、みんな知ってる」というオイシイ“突っ込み”ができなかったことは大きな反省点である。
1人出演してくれたダダくんですが、私と同様に“花粉症”にやられていたのもあり、歌のほうは、本調子ではなかったですが、どフォークなのにオシャレなコードを使った楽曲に美しいギターの音色、、さすがでした。。また、いっしょに出て欲しいです。
あっ 肝心のトリックハウスの演奏の方ですが、、細かい点は、各自いろいろあったかと思いますが、、PAの方も前回と同じ方で、いっしょに楽しみながら、良いバランスで、アウトプットできたかと思います。
私、、個人としては、、、いつもは適当に流しているリハで、あまりにも調子がよく、流しつつ、やや本気モードで。
「こりゃ本番、いけるかも!」と思っていたら、、、それがピークだった???
本番の冒頭から、、「抑揚のコントロールをミスった」と思った途端、あり得ないところで連続“声がひっくり返る”という事態となり、3曲目から中盤は、かなり苦しい状況になった。。。ペース配分狂ったのか???
終了後、、メンバーも「中盤苦しそうやったね」という感じだったので、、ダメやったんやろうなぁ。。。
よくはわからないが、、、こんなことがあるんやな。。。
だが、しかし、、後半は、、悪いなりになんとか立て直した。。。
この辺は、、トリックハウスで長年歌ってきた経験かもしれない。
一応、微妙にアンコールもいただき、、、冒頭の「Out Of Control」「Hard Beat」をリベンジ演奏。
こんな歌い方は冒頭からできないが、ここからは“ギアチェンジ”して調子がどうのこうのは関係ない歌い方。。
う~ん、、、なかなかLiveというのは難しい、、、自分自身がコントロールできてない。まだまだ精進が足りませんなぁ。。。
今回は次のスタジオライブを予約していない状況だが、、、3バンドくらいで演ってみたい野望もあるので、それらの調整と、、トリックハウスとしてもさらにパワーアップしていきたいと思います!
前座出場のお誘いもお待ちしております!! (宮本)
土曜の夜という貴重な時間、、ご来場いただきました方、ありがとうございました!!
当日の演奏の模様は、また忘れた頃にアップするかもです。
今回は、まず“集客”の面で、「我々が演奏する時の“聞き手”は出演者のダダしかいないのではないか?」という心配もありましたが、何とか形になるご来場者があり、助かりました、、、
生来の口ベタなので、あまりしゃべらないようにして来ましたが、今回は時間に余裕があるということで、少々引っ張り気味にしゃべらせてもらったのですが、、、
あまりにも“ノープラン”すぎて、ウダウダになってしまいました。。。
その中でも“悔い”が残っていることが2つあります。
表題の「平成最後の…」という、今あまりにも“あふれ返っている”この言葉をあえて使おうと思っていたのに忘れていたのと、もうひとつは、“アメリカ旅行”ネタを急にふった上嶋さんが、、、
その感想を「アメリカは大きい…」としかリアクションできないことへ、、「アメリカ大きいの…、みんな知ってる」というオイシイ“突っ込み”ができなかったことは大きな反省点である。
1人出演してくれたダダくんですが、私と同様に“花粉症”にやられていたのもあり、歌のほうは、本調子ではなかったですが、どフォークなのにオシャレなコードを使った楽曲に美しいギターの音色、、さすがでした。。また、いっしょに出て欲しいです。
あっ 肝心のトリックハウスの演奏の方ですが、、細かい点は、各自いろいろあったかと思いますが、、PAの方も前回と同じ方で、いっしょに楽しみながら、良いバランスで、アウトプットできたかと思います。
私、、個人としては、、、いつもは適当に流しているリハで、あまりにも調子がよく、流しつつ、やや本気モードで。
「こりゃ本番、いけるかも!」と思っていたら、、、それがピークだった???
本番の冒頭から、、「抑揚のコントロールをミスった」と思った途端、あり得ないところで連続“声がひっくり返る”という事態となり、3曲目から中盤は、かなり苦しい状況になった。。。ペース配分狂ったのか???
終了後、、メンバーも「中盤苦しそうやったね」という感じだったので、、ダメやったんやろうなぁ。。。
よくはわからないが、、、こんなことがあるんやな。。。
だが、しかし、、後半は、、悪いなりになんとか立て直した。。。
この辺は、、トリックハウスで長年歌ってきた経験かもしれない。
一応、微妙にアンコールもいただき、、、冒頭の「Out Of Control」「Hard Beat」をリベンジ演奏。
こんな歌い方は冒頭からできないが、ここからは“ギアチェンジ”して調子がどうのこうのは関係ない歌い方。。
う~ん、、、なかなかLiveというのは難しい、、、自分自身がコントロールできてない。まだまだ精進が足りませんなぁ。。。
今回は次のスタジオライブを予約していない状況だが、、、3バンドくらいで演ってみたい野望もあるので、それらの調整と、、トリックハウスとしてもさらにパワーアップしていきたいと思います!
前座出場のお誘いもお待ちしております!! (宮本)
ライブに向け、最終練習を3/15(金)に4人で終えた。
花粉症の影響で、最初、数曲は「やっぱり不調…」という感じだったが、、
自重してたら、、練習中に“いい感じ”になって来た。この日が、本番なら良かったのに。。。
さて、そんな時ではあるが、、、センバツの組み合わせが決まったので、ボンヤリしてられない。
何と言ってもセンバツは、いい投手のいるチームが強い。
そうなると、結論から言うと、、星稜の優勝と予想せざるを得ない。
エースの奥川恭伸。
2018年秋、北信越大会と明治神宮大会では計7試合、48回1/3を投げ、
3失点(自責点0)、65奪三振、与四死球3と圧倒的なピッチング。
150kmのストレートにスライダー、フォーク。まぁそうは打たれない。
昨年からの経験者も多い、星稜だが、打線はもうひとつ、守備力にも不安がある。
夏なら、しんどいが、、春なら、、、さらに不可解な采配をしなければ…の条件付きだが。
地元愛の私としては、、心を鬼にした予想だが、、
初戦で、星稜vs履正社、、星稜奥川 対 井上、小深田らの履正社強力打線。
履正社のエース清水が、「怪我から完全復活すれば」という意味で、もっとあとの日程であたれば、予想も変わってくるのだが…。
このブロックは、この勝者が勝ち上がるだろう。
初戦で面白いのは、明豊vs横浜、筑陽学園vs福知山成美、広陵vs八戸学院光星、啓新vs桐蔭学園は好ゲームを期待したい。
Bブロックは、及川投手を擁する横浜がいるが、やや不安定。札幌大谷は西原、太田の2投手が絶好調なら、一気に駆け上がる可能性があるが、、ここは総合力で、龍谷大平安がベスト4進出とみた。
Cブロックは、中国優勝校の広陵と東北優勝校の八戸学院光星の勝者がベスト4進出とみた。
広陵を優勝候補に推す、監督が多くいて、肌で感じる強さがあるのかもしれないが、ここのところ、安定した強さの光星で。
このブロックは九州の優勝校筑陽学園もいるが、ズバ抜けて強いチームはなく、初戦次第では福知山成美にもチャンスはある。
Dブロック、関東優勝校の桐蔭学園を北信越大会で、星稜と延長15回再試合を戦った啓新が撃破すると大胆予想。
しかし、強力打線の智弁和歌山がこれに勝利し、勝ち上がる。だが、このブロックを制するのは総合力で明石商。
結局、決勝は、星稜vs明石商。。明石商は、中森、宮口両投手をうまくつなぎ、打線が少ないチャンスで得点をあげれば、公立校の10年ぶりのセンバツ制覇もあり得るかも。。。
今年のセンバツ。星稜vs近畿強豪校という様相だ。 (宮本)
花粉症の影響で、最初、数曲は「やっぱり不調…」という感じだったが、、
自重してたら、、練習中に“いい感じ”になって来た。この日が、本番なら良かったのに。。。
さて、そんな時ではあるが、、、センバツの組み合わせが決まったので、ボンヤリしてられない。
何と言ってもセンバツは、いい投手のいるチームが強い。
そうなると、結論から言うと、、星稜の優勝と予想せざるを得ない。
エースの奥川恭伸。
2018年秋、北信越大会と明治神宮大会では計7試合、48回1/3を投げ、
3失点(自責点0)、65奪三振、与四死球3と圧倒的なピッチング。
150kmのストレートにスライダー、フォーク。まぁそうは打たれない。
昨年からの経験者も多い、星稜だが、打線はもうひとつ、守備力にも不安がある。
夏なら、しんどいが、、春なら、、、さらに不可解な采配をしなければ…の条件付きだが。
地元愛の私としては、、心を鬼にした予想だが、、
初戦で、星稜vs履正社、、星稜奥川 対 井上、小深田らの履正社強力打線。
履正社のエース清水が、「怪我から完全復活すれば」という意味で、もっとあとの日程であたれば、予想も変わってくるのだが…。
このブロックは、この勝者が勝ち上がるだろう。
初戦で面白いのは、明豊vs横浜、筑陽学園vs福知山成美、広陵vs八戸学院光星、啓新vs桐蔭学園は好ゲームを期待したい。
Bブロックは、及川投手を擁する横浜がいるが、やや不安定。札幌大谷は西原、太田の2投手が絶好調なら、一気に駆け上がる可能性があるが、、ここは総合力で、龍谷大平安がベスト4進出とみた。
Cブロックは、中国優勝校の広陵と東北優勝校の八戸学院光星の勝者がベスト4進出とみた。
広陵を優勝候補に推す、監督が多くいて、肌で感じる強さがあるのかもしれないが、ここのところ、安定した強さの光星で。
このブロックは九州の優勝校筑陽学園もいるが、ズバ抜けて強いチームはなく、初戦次第では福知山成美にもチャンスはある。
Dブロック、関東優勝校の桐蔭学園を北信越大会で、星稜と延長15回再試合を戦った啓新が撃破すると大胆予想。
しかし、強力打線の智弁和歌山がこれに勝利し、勝ち上がる。だが、このブロックを制するのは総合力で明石商。
結局、決勝は、星稜vs明石商。。明石商は、中森、宮口両投手をうまくつなぎ、打線が少ないチャンスで得点をあげれば、公立校の10年ぶりのセンバツ制覇もあり得るかも。。。
今年のセンバツ。星稜vs近畿強豪校という様相だ。 (宮本)
よく考えたら、ライブまであと2週間となった。
最後のスタジオ練習は、ライブ1週間前の3/15だが、上嶋さんは参加できない予定なので、次にメンバー全員が顔を合わせるのは本番日となった。
個人的には喉の調子、体の調子を整えていかなければならないが…。
胃もたれと右肩痛に加え、ここに来て、ここ数年はそれほど気にならなかった花粉症が私の中で暴れ出している。
とにかく目がかゆくて、涙目、、、喉もいがらい、、くしゃみ連発、、しかし最大の敵は鼻づまりだ。
今日は娘の病院に付き添ったついでに、、私も家内もまとめて診てもらってるのだが市販の胃薬がいろいろ試してもダメなので、薬を出してもらった。
そして、普段からアレルギー性結膜炎と鼻炎のためにアレグラを処方してもらってるのだが、、
この“花粉”には力不足ぽいので、アレロックを出してもらった。。。
もう、血圧やら血糖値やら、、薬だらけ、、、
そういえば、2週間前に麻疹(風疹もついてるやつ)の抗体検査をしてもらっていた結果が出た。
私は風疹、水疱瘡、おたふく風邪はやっているので、当然、風疹の抗体は持っていた。
しかし、麻疹はかかった記憶がないし、予防接種もしてないはず。。。
だが、、、なぜか、麻疹の抗体があり、、予防接種が不要に。。
一応安心だが、、、自然に抗体できてるってあるのか???
抗体は、、1度ヒドイ目にあわされた病原菌が入ろうとすると、退けてくれるありがたいモノだが、、
花粉症もいわばこの抗体の仕業、、、身体に毒でもない“花粉”を必死に退けようと、、鼻水やらくしゃみやら涙やらを総動員して、攻撃をしかけてる。。。
ご苦労なことだが、、、はっきり言って、迷惑千万。。。
「それは敵じゃないんだよ」と小一時間説教する方法はないものか???(宮本)
最後のスタジオ練習は、ライブ1週間前の3/15だが、上嶋さんは参加できない予定なので、次にメンバー全員が顔を合わせるのは本番日となった。
個人的には喉の調子、体の調子を整えていかなければならないが…。
胃もたれと右肩痛に加え、ここに来て、ここ数年はそれほど気にならなかった花粉症が私の中で暴れ出している。
とにかく目がかゆくて、涙目、、、喉もいがらい、、くしゃみ連発、、しかし最大の敵は鼻づまりだ。
今日は娘の病院に付き添ったついでに、、私も家内もまとめて診てもらってるのだが市販の胃薬がいろいろ試してもダメなので、薬を出してもらった。
そして、普段からアレルギー性結膜炎と鼻炎のためにアレグラを処方してもらってるのだが、、
この“花粉”には力不足ぽいので、アレロックを出してもらった。。。
もう、血圧やら血糖値やら、、薬だらけ、、、
そういえば、2週間前に麻疹(風疹もついてるやつ)の抗体検査をしてもらっていた結果が出た。
私は風疹、水疱瘡、おたふく風邪はやっているので、当然、風疹の抗体は持っていた。
しかし、麻疹はかかった記憶がないし、予防接種もしてないはず。。。
だが、、、なぜか、麻疹の抗体があり、、予防接種が不要に。。
一応安心だが、、、自然に抗体できてるってあるのか???
抗体は、、1度ヒドイ目にあわされた病原菌が入ろうとすると、退けてくれるありがたいモノだが、、
花粉症もいわばこの抗体の仕業、、、身体に毒でもない“花粉”を必死に退けようと、、鼻水やらくしゃみやら涙やらを総動員して、攻撃をしかけてる。。。
ご苦労なことだが、、、はっきり言って、迷惑千万。。。
「それは敵じゃないんだよ」と小一時間説教する方法はないものか???(宮本)
なんか本格的な冬の寒さが来るのはいつか? と思っている間に、もう3月になっていた。
別にこれは、トリックハウスとは関係ないが、私のDTMの音作りの実験で打ち込んでいたものを
インストナンバーとして制作してみた。。私もおそらく400曲は作っているが、インストは5曲もない。タイトルは「Catch the Soul」、、ついでに仕事関係で少し使った。
Catch The Soul-Full Version-.mp3
単純ですが、まぁ元気が出るという感じで。。
元気が出ると言ったものの、まだ、右肩の痛みがとれず、日曜日は整体に通っている。
さらに私を悩ませているのが、胃の調子が悪いこと。。
痛いわけではないが、胃もたれ感とそれに伴い、体がだる重い、、これらが昨年から続く中、、、
さらにさらに、、今年は花粉量が多いのか、それほど重症ではない花粉症の症状が出始め、、
涙目、鼻づまり、くしゃみがやって来た。。 あぁなんか満身創痍だ。
ライブまで、あと20日か。。。。
出来栄えはともかく、わがトリックハウスも、特別につめて練習しなくても、
普段着で(本当に普段着でもあるが…)出演できるようになった。それが理想だったわけで…、
それは、本当にうれしいことだ、、当初は頑なにそこに“こだわり”すぎて、
逆に遠回りしたのかもしれないなぁ。。
整体に行っても言われたが、、昔から私は「肩に力が入りすぎ」とよく言われる。。いろんな意味で。
ちょっと何事にも肩の力を抜いていきたい。。
ライブが終わったら、もちろんライブは継続していきたいが、曲のバリエーションも増やしていきたい。
まだ候補曲もいろいろあるが、結局、私のキーの設定をちゃんとやらないと、ライブで演奏できなくなり、
メンバーにも申し訳ない。ネットでもキー設定を自分に合うようにするのはボーカルの義務とあった。
どうしても高い声が出ないコンプレックスで自分のギリギリに設定しがちだが、
ライブで何曲も歌う中で、ちゃんと歌えるキーにしておくべきだ。
会社の同僚から「Nothing’s Carved In Stone」のライブビデオをお借りした!
多少はライブビデオを観てきたが、、これはカッコいい。
曲もいい曲ばかりだし、何より楽しそうに演奏している。。いいなぁ。。
それで、今日はテンションを上げて、個人練習を行った。心なしか、いつもより調子が良い。
そして、これはトリックハウスのバラードナンバー候補にしたいミディアムバラードを創ってみた。
「Dream Again」という曲です。まだ私一人での制作ですので、聞き苦しいですが…。
DREAM AGAIN2.mp3
当初、決めかけていたキーより半音上げたパターンを個人練習で、トリックハウスの曲を全曲練習したあとで、歌ってみたら、
まずまず歌えた、、これで育成枠入りとしょうかな。。。(宮本)
別にこれは、トリックハウスとは関係ないが、私のDTMの音作りの実験で打ち込んでいたものを
インストナンバーとして制作してみた。。私もおそらく400曲は作っているが、インストは5曲もない。タイトルは「Catch the Soul」、、ついでに仕事関係で少し使った。
Catch The Soul-Full Version-.mp3
単純ですが、まぁ元気が出るという感じで。。
元気が出ると言ったものの、まだ、右肩の痛みがとれず、日曜日は整体に通っている。
さらに私を悩ませているのが、胃の調子が悪いこと。。
痛いわけではないが、胃もたれ感とそれに伴い、体がだる重い、、これらが昨年から続く中、、、
さらにさらに、、今年は花粉量が多いのか、それほど重症ではない花粉症の症状が出始め、、
涙目、鼻づまり、くしゃみがやって来た。。 あぁなんか満身創痍だ。
ライブまで、あと20日か。。。。
出来栄えはともかく、わがトリックハウスも、特別につめて練習しなくても、
普段着で(本当に普段着でもあるが…)出演できるようになった。それが理想だったわけで…、
それは、本当にうれしいことだ、、当初は頑なにそこに“こだわり”すぎて、
逆に遠回りしたのかもしれないなぁ。。
整体に行っても言われたが、、昔から私は「肩に力が入りすぎ」とよく言われる。。いろんな意味で。
ちょっと何事にも肩の力を抜いていきたい。。
ライブが終わったら、もちろんライブは継続していきたいが、曲のバリエーションも増やしていきたい。
まだ候補曲もいろいろあるが、結局、私のキーの設定をちゃんとやらないと、ライブで演奏できなくなり、
メンバーにも申し訳ない。ネットでもキー設定を自分に合うようにするのはボーカルの義務とあった。
どうしても高い声が出ないコンプレックスで自分のギリギリに設定しがちだが、
ライブで何曲も歌う中で、ちゃんと歌えるキーにしておくべきだ。
会社の同僚から「Nothing’s Carved In Stone」のライブビデオをお借りした!
多少はライブビデオを観てきたが、、これはカッコいい。
曲もいい曲ばかりだし、何より楽しそうに演奏している。。いいなぁ。。
それで、今日はテンションを上げて、個人練習を行った。心なしか、いつもより調子が良い。
そして、これはトリックハウスのバラードナンバー候補にしたいミディアムバラードを創ってみた。
「Dream Again」という曲です。まだ私一人での制作ですので、聞き苦しいですが…。
DREAM AGAIN2.mp3
当初、決めかけていたキーより半音上げたパターンを個人練習で、トリックハウスの曲を全曲練習したあとで、歌ってみたら、
まずまず歌えた、、これで育成枠入りとしょうかな。。。(宮本)