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病室にて読書。。

DSC_0315 いつのまにか、4月が終わった。。
一応、4月は、いろんな便宜上、4日間休日をとったことにしているのだが…、
最後に会社に行かなかった日が、3月27日(日)ようやく4月30日最終日に会社に行かなくても良い日が来た。

これは、4月最終日の話。
この日は、それでも朝早起きして(とはいえ、4時間以上寝たのは、4月になって初だ。)、娘が入院する病院へ、もう1ヵ月半娘に付き添い入院する家内が自宅近くの美容院へ行くので、付き添いを交代した。

なので、読書(写真のような感じで)。老眼?? 離し気味に読んでおります。

最近、ふと気づいたのだが、、自分は異様にタフなのではないか…。
周囲がへばっていると、、ちょっと違和感があったのだが、、
まだ20歳代後半で、店長をしていて、部下が5人くらいいた頃のことを思う。
私の上司であるブロック長が私の部下達に言った。。
「宮本の背中を見て働くのはいいが…(…ここまでは褒め言葉?)、あのペースで働いたら身体壊すから真似するな。」と。。

まぁ時代が時代とはいえ、「公休日とは何だ?」と上司が問うと、、
部下が真面目な顔で、、「私服で出勤してもいい日です!」と答えてしまう会社でである。。。

それはそうと、、
通勤以外で読書するのは久しぶりだ。。
たっぷり時間があったが、、思っていたほど、読み進まない。
病室での読書というと、、39歳の時に十二指腸潰瘍で、、たっぷり血を吐き、入院してしまった時だ。
私は、30年近いサラリーマン生活で、自分の病気で休んだのは、3回しかない。病気をしなかったわけでも、体が特に丈夫なわけでもないと思う。。
今ではとんでもないことだが、おそらく“インフルエンザ”だったぽい時も休むという感性がなかった。

でも、救急車で運ばれたので、致し方ない。そもそも血液が相当不足し、数歩歩いたら、気を失う状態だった。完全に元に戻るには、2,3ヶ月掛かるといわれたが、早めに回復、生涯3回のうちの1回は、2週間の入院での“欠勤”となった。

“その時”にちょうど病室で読んでいたのが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。
大学では法学部だったが、「日本政治史」を専攻した。そこでは周囲のほとんどが「坂本龍馬」ファンだったので、天邪鬼の私は、226事件の研究をして、それを避けていた。。

…もっと早くこれを読んでいればよかった。。と後悔した。
だが、その後、採用した24歳くらいの人が、、話をしてると、、
偶然にも同じ本を読んだ話題になり、「もっと早く読んでいればよかった。」と言ったのを聞いて、「遅すぎた…」を痛感した。。

そこには、いろいろ人生の教訓がある。特に清河八郎について、書かれているくだりが、自分の生涯の教訓になった。
なので、そのままご紹介…。

「清河は、卓抜すぎるほどの批評家で、同志の無能を憎み、相手の慎重を怯懦(きょうだ)とし、しかもそれを攻撃する論理、表現はアイクチのようにするどく、相手が参ったといってもやめず、つねにトドメを刺すところまで言及した。
のこるのは、恨みだけである。
よほど大事の瀬戸ぎわでないかぎり、座興の議論などに勝っても仕様がないものだと竜馬はおもっている。
相手は決して負けたとはおもわず、名誉を奪われたとおもう。いつか別のかたちで復讐するだろう。
清河は酒間の議論でも不敵に冷笑しつつ、相手がくたばって死骸同然になるまで舌鋒をとどめなかった。
相手を説得する場合、はげしい言葉をつかってはならぬ、と竜馬はおもっている。
清河なら、そういう言葉をつかう。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。」

占いは信じないが、、
私の5月は、「不本意な変化があるが、その変化がのちの発展につながる」とのこと、、
今この時、、なんか暗示的だ。。 とりあえず、流れに乗っておくか。。。

で、4月最終日にて、はじめて会社に行かなくて済んだと思い、、
病院から家へ帰ろうとしたら、、、取引先から大幅なメンバーチェンジの知らせが…。
結局、4月は全日、、出勤となった。。(宮本)

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