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私のヴォーカル列伝 ~Vol.16 浜田省吾

またまたブログをサボっているうちに、、
家内の調子も少しマシになったものの、車を運転できない状況、、
娘も一時期退院し、日帰りで年内3度目の手術でこれで一件落着と思ったのも半日も持たず。。
また入院するハメに。仕事の状況は嵐の中の小康状態で、何と本日から3連休だったが、、案の定、、病院通いとなった。。
私自身、盆に引いた風邪の影響なのか、いまだに咳が出る、特に話をしようと息を吸い込むと、むせてしまって、咳き込むハメになり、声も出にくい。
今年の我が家は、ろくなことがない。。。仕方ないので、朝からボサボサの頭を散髪してから、病院へ、、目処の立たない状況を見守るしかないのだが…。

そういえば、娘の病院の付き添いベッドで歌詞を書いていたのは、1社目を辞めていたころだから、もう16年も前のことか。。。
それにしても、今年は音楽活動という点では、、個人的にはまったく不毛な1年になりそうだなぁ。。。

さて、そんな中、そろそろヴォーカル列伝も近年に向おうかと思ったものの、
やはり心に引っかかる歌手が数名浮かぶ。。
誰もが知る人をワザワザというのもあり、敬遠していたのもある。
コアなファンが多いけど、私はそれほど詳しくはない。でも、やはり曲を書き始めたころに良く聞いていたので、やはり影響は多く受けたと思うし、何となく今の忸怩たる思いの中でふと書く気になってしまった。

1975年に愛奴としてデビュー、1976年にソロデビュー。その頃は私もまったく知らなかったし、下積み時代といえるだろう。
私がはじめて知ったのは、1979年、カップヌードルのCMソングとなった「風を感じて」、、
私は当時15歳の中学生、、まだ10数曲しか書けてない頃だが、、
こんな曲書きたいと思いながら、書けなかった頃だ。
大ヒット曲と思っていたが、10万枚というから、小ヒット曲くらいか。。


浜田省吾というと、大御所と言ってもいいと思うし、
なんかファンも多いから、私としては、遠ざかってしまった感もある。
しかし、意外なのは、有名な名曲が多いにも関わらず、セールス的に大ヒットといえるのは、1981年にリリースされていて、1992年「愛という名のもとに」の主題歌として発売されたシングル「悲しみは雪のように」が170万枚で唯一である。

よく聞いていた頃にラジオで生演奏したのを録音してよく聞いていた。
そこで生ギターを弾いていた人が、町支寛二 という人だったのを覚えている。
どうやら高校時代からの40年以上の音楽パートナーだったらしい。
私の記憶が正しければ、その時に演奏した1曲がこれ


曲はともかく歌詞的にすごく影響を受けた気がする。
この時から、お金持ちに対する反発心が、少年ながらあったのかもしれないなぁ。。

その後、いろいろな名曲が生まれるのではあるが、私には、浜田省吾というと、あきらかに昭和なこの2曲への思い入れが強いのである。
しかし、なんとか声の状態だけでも、なんとかならんかなぁ。。(宮本)

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