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引越し

今朝、一応、選挙に行って来た。。。
さて、どうなるんでしょうねぇ。??
 
 ここへのHPの引越しも、おおまかな引越しは順調に進んだが、中盤以降の細々としたところで、思わず、手間取ってしまうのは現実の引越しと同じだ。

 いろいろ、「新たな仕掛けを」と考え、試行錯誤していたが、なかなか思いとおりにいかない。
よく考えてみたら、別にHP作成の技量を上げたい訳ではないので、ここらで、あきらめて先に進める事にした。

 さて、引越しというと、葛飾北斎なんかは、88年の生涯で93回転居したらしい。。
それは、転居というのだろうか…。
基本、私は、自分を狩猟民族ではなく、農耕民族系と自認しているので、何かに不足があっても、一箇所で、踏みとどまりたい側の人間であるので、引越しとかはあまり好きじゃない。

 実家は、守口市から、4歳の時に川西市に引越し、19年前に同じ川西市の今のところへ転居したので、そんなに環境が変わっていない。
その間、私自身は、学生時代に4年間、京都の伏見で下宿生活をしていた。
ここでも2箇所引越したが、19歳当時最初に住んだのは、日用雑貨洋品店の倉庫の2階だった。
月の家賃は、なんと、8000円。友人からは、「人が住んでるとは思えない」とか「忍者の住処」とも言われたが、倉庫のはしごのような階段上の2部屋ずつの4人と、1階に二浪の五回生という“長老”が住んでいた。

 夜になると、部屋を一歩出ると、倉庫と言っても昔の土蔵風なので真っ暗だ。トイレへも相当距離があり、懐中電灯は必需品だった。

ある夜、トイレへ行こうと部屋を出て、懐中電灯を照らすと、真っ暗な廊下に女が倒れていた。
たぶん、我が人生で一番、びっくりした。。「うわぁ。。」と声が出たほどだ。
 どうやら、隣の他校の先輩の彼女が、喧嘩して、そのあと驚かそうと、部屋の前で倒れたフリしていたようだが、哀れにも私に発見されてしまったのだ。。
 道化にも、私が、取り次いで、仲を取り持つハメになってしまった。

 大家さんの京都人的な洗礼も浴びたり、洗濯もままならなかったり、
そんなこんなもあり、曲を創るために多少、声を出せるとこに引っ越したい事もあり、2回生からは、伝説の今はなき永宝荘へ引越した。

この一人暮らしの第一歩の地は、今どうなってるのか?
ちょっとストリートビューで見てみると、なんか工事中だった。。
住処.png
…というか、本当にここだったか確信がない。 なんとなく脇にある祠のようなものに記憶がある。…もう30年近く前だ。おそらく、建て直した上の今回の工事かな??
右上の窓あたりに部屋があったが、窓はもっと小さかったかな。。

社会人第一歩を踏み出した福岡では、二間の部屋に社員3人で住んでいた。すぐ上の先輩と四畳半で、2人で生活していたが、朝勤、夜勤交代だったので、大変だった。空調もないし。。
その先輩も既に他界してしまった。。

引越しは、新しい希望とともに、なんだかノスタルジックでもある。 (宮本)

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