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私のヴォーカル列伝 ~Vol.24 ~山田晃士~

唐突ですが、花といえば、育てるなら「朝顔」(毎年、育てようとするが、“どうせ私がやる羽目になる”と言う妻の反対で実現していない。)、自宅に花屋さんで買って帰るなら、小ぶりな「ひまわり」である。

「ひまわり」というタイトル、またはタイトルの一部になっている楽曲は非常に多いが…、
私の中でもっとも強烈な歌声が衝撃的でそのサビの出だしが、いまだに時々、口をつく曲がある。
ただし、曲全体をそれほど聞いていたわけでもないし、その背景も、この山田晃士という歌手がどんな人で、その後、どうなったかも知らなかった。まずは、本人、作詞・作曲、歌唱の「ひまわり」



この曲、1994年、日本テレビ系ドラマ『横浜心中』の主題歌として起用されてオリコン最高9位を記録、約20万枚を売り上げたというから、相当のヒット曲である。そんなに売れた曲とは思っていなかった。
同年、アルバム『舞踏会』をリリースするが、方向性の違いからメジャー契約を解消してパリヘ渡るとある。

ご本人の供述では、「メジャーデビューしたその1年間、記憶がないんです。まったくのアマチュアミュージシャンが、一夜明けたら秒刻みのスケジュールに追われる状態になっていたんですよ。当時28歳、いっぱしの大人ではあったけれど、売れたことを楽しんで、その状態の中で自分を調整してうまくもっていくということが僕にはできなかったんですね」とのこと、、

なんとももったいない話ではあるが、もちろんそんな境遇に接したことがないので、何とも言えない。

で、この人、その前には、1984年にAROUGEのボーカルとして、18歳でメジャー・デビューをはたしている。
ちなみにギターリストは、1989年に筋肉少女帯に加入する橘高文彦である。


当時、私がかなり傾倒していたジャパメタなのでバンド名は知っていたが、なるほど、典型的な楽曲である。
世代的には私より1つ2つ年下なので、世代的には、ブームが下火になって来たころ。
本人はデビュー翌年の1985年に脱退、1986年にはAROUGEは早くも解散している。

それから、8年ほどはメジャーとしては、空白がある。アマチュアミュージシャンとして活動していたということだろう。

で、メジャーで、商業的な忙しい活動、あるいは方向性を嫌い、純粋に歌う事を優先している現在は…。
『山田晃士&流浪の朝謡』という6人編成のバンドと、ギター1本で歌い演じる『独り舞台』、そして『ガレージシャンソンショー』とのこと


この変遷、潔さ(?)たるや、、すごいですが、とにもかくにも歌い続けられることは幸せである。(宮本)

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