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私のヴォーカル列伝 Vol3.小柴大造

 昭和55年5月5日5枚シングル同時発売という前代未聞の衝撃デビューを飾ったバンドがいた。
「小柴大造&エレファント」である。若い人はもちろんだが、同世代でも知る人は少ないかも知れない。

既に私は高校生になり、曲創りにかなり夢中になっていた。
とはいえ当時聞いていたのはアリスとか浜田省吾など、、あまりバンド色の強いものではない。
自分の作品もアコギでジャカジャカ演るのが中心だった。オリジナル曲をバンドで演るのは、この時より3年を要した。

たぶん「ヤングオーオー」だった気がするが、テレビでこのバンドをはじめて見た。
デビュー曲のひとつ「テル・ミー」と2曲ほど演奏していた。
「なんて楽しそうに演奏するバンドなんだ!」と衝撃が走った。その曲がこれ。コーラスワークも魅力のひとつだ。
本当は当時の曲をもっと紹介したいのだが、以前アップされていたものも、削除されてしまっているようだ。
当時からハイトーン全盛時代だったので、コピーをしようにもキーの低い私では高い声が出なかった。
しかし、このバンドの曲は何曲かは私のキーでも頑張れば歌えた。それも大きかったかも知れない。
高校時代に結成したバンドで小柴大造&エレファントの曲を演奏した。ライブにも何度も行った。

小柴氏は私にとっては、羽生くんにとってのプルシェンコのようなものであり、いまだに“レジェンド”だ!
(…「誰が羽生くんやねん!」という声が聞こえた気が、、しかも越えるどころか近づきもしてないが…)

ボーカルとしても、曲にしても歌詞にしても、大好きで私の曲創りの“師匠”であった。
ポップで聞きやすいけど、冷たい街(社会)への憂いもあり、でもそこへの反逆とか破壊ではなく、
どこか健気で真摯な生き方といった潔い世界観。紛れもなく私が最も影響を受けたアーティストだ。

その後、カレーや横浜タイヤなどのCM曲にもなったし、
またファーストアルバムは、それまでのシングル曲は一切収録せずに、珠玉の曲を並べるなど、
短期間に曲の豊富さは訴求したのだが…。
「どうして売れないのか?」私も悔しかったが、、ついにはブレイクに到らず、3年という短命でバンドは解散した。
私もその後、いろんなアーティストの影響を受けて、変遷もしてきたが、結局は、ここへ帰って行くのではないか、、そんな気がします。

ところで師匠は、近年、東北復興支援ソング「虹をかけよう」の作詞・作曲をされています。
そして、あの歌声は今も健在でした!! 何だか嬉しい。


師匠なので、今日は特別にもう一丁。

これも2年ほど前のライブ。師匠の歌唱力は、私が思っていたよりさらに追いつけないところにあったようだ。(宮本)

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