本日 475 人 - 昨日 491 人 - 累計 614120 人
  • 記事検索

RSS

最後の遠征

DSC_0113.jpg 風邪の影響でまだ歌の練習もできない声の状態だが、身体の調子は少しマシになったので朝の散歩は再開した。
そのコースのひとつで、写真のようなものがあり、見るたび、ある記憶が蘇る。

15年ほど前、前々職の経営状況が思わしくなくなった。
月末には「不渡りが出るかも?」という状況で、ある日、当時の営業部長に数人召集された。
「宮本、○日にチラシ間に合うか?」 当時私は販売企画部のマネージャーをしており、チラシの制作や手配をしていた。 「ギリギリいけると思いますが…」 店の在庫品を処分してとりあえず現金を作るという事だ。
しかし、同席していたブロック長2人は渋い顔をして言った「チラシ入れても、もう売るモンなんてありませんよ。」
部長が珍しく声を荒げた「じゃあ、座して死ねちゅうんか!」
…という程の、状況だった。

そんな中でも、予定通り、新店はオープンしていく。
大阪本社の会社だったが、店舗の半分は九州にあった。新店オープンとなると、私も1週間ほど出張し、売場のサイン、POPの設置や、オープンイベント(抽選会とか風船プレゼントとか…)に行く。
暗黙の了解で、誰も“出張手当”は申請しなかったが、「立て替えた交通費や宿泊費は出るのか」とか「帰ったら、会社が無いのでは…」とかの不安の中で仕事をしていた。

それでも経営陣が変わったりしながら、1年程経った。
社員数も半減したが、相変わらず攻め続け、改装が相次いだ。休日は3分の1くらいになり、タイムカードも押さずに働いていた。
入社した数年は、現地社員の寮にみんなザコ寝などということもあったが、上場を目指す中、待遇が改善され、ちゃんとビジネスホテルの一室に宿泊できるようになっていた幸せな時期があった。

しかし、それも“夢のまた夢”。。
いよいよ、私が在籍中の“最後の遠征”の時は、本社から6人が、まず鹿児島の店へ行き、レンタカーの大型車に乗せられ、九州の店を夜の間に改装して回ることになった。
宿泊するところは、現地のブロック長が「よく探せたな」というような安宿を探して来て、個室どころか、そこへみんなでザコ寝になった。

ある旅館(?)の受付のおばあさんが、「風呂は大浴場と部屋風呂があるよ」とのこと。
みんな疲れてたし、汗もかいたので、「大浴場」に過度に期待してしまった。

で、早速、大浴場に直行し、、ドアを開けると、、、、
入口でなぜか洗濯機が回っており、だだっ広い汚いタイルの奥のやたらと高いところに、ポツンと家庭の浴槽より小ぶりな感じの汚い浴槽があるだけだった。。
みんな呆然となり、、「部屋で入るか」と誰となく言い、部屋へ行った。

部屋に入ると、誰かが早速、風呂を確認に行ったが、「えぇーーー」と悲鳴のような声をあげた。
慌てて、私も見に行くと、暗い汚い部屋に、10年くらいは使用していないであろう50cm四方しかないような、ちょうど写真のようなタイルの“風呂”があった。 別の誰かが、「これ風呂か?」と言い、私も「漬物のぬか床ちゃうん?」と言った。。結局、その日誰も風呂に入らなかった。(入れなかった。。)

鹿児島→熊本→福岡と、1週間で5店舗くらいの改装を終えて、戻って来た時、5kgくらい痩せていた。
それが、前々職での、数多かった新店、改装店オープンの“最後の遠征”だった。。

もうこの時は、誰もこの会社にずっと勤められるとは思っていなかったが、
この時のメンバーは少しずつ、会社を去っていき、私も間もなく退職した。この時のメンバーとはもう誰ともつながりがない。
みんなは、どうしているのだろうか? 今はこの時より幸福であることを願うばかりだ。 (宮本)

コメント
name.. :記憶

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):