今日は、失業手当認定日で雨の中、ハローワークへ。駅からさらに片道徒歩30分。
雨のせいか空いていたので、待ち時間もほとんどなく、帰り道。続けて1時間歩いたので、汗と雨でぐしょ濡れになった。
少々惨めな気持ちで歩きながら「どこで間違えたのだろう…。」とふと考えていた。。
経歴書には長所のひとつとして「人当たりがいい」と書いている。周囲からそう言われて来たし、実際、少ないながら面接してくれた人もそこは認めてくれている。 しかし、社会人になろうという時の自分はそうではなかった。。
新卒でサービス業に入ったが、アルバイトも工場ばかりで人と接することは避けていた。
就職後、店へ出てはじめて「アレ? 何で接客業やってんだろう?」と思った。。
入社してしばらくして、自分よりは2つばかり年上くらいの若い女性がファッション雑誌を持って、私のいるレジに来た。
見ると、裏表紙が折れてしまっている。「少々お待ちください」と言って、売り場からきれいな同じ雑誌を持って来て交換して渡した。その人は、パっと笑顔になり「ありがとう!」と言ってくれた。 …嬉しかった。
「サービス業は天職かも知れない。」と思った。
そこから13年経った。いろいろあった。。先日のブログ「最後の遠征」から、しばらくして会社を辞めた。
転職活動時「もうサービス業はごめんだ。。」と思っていた。
人材紹介会社のコンサルタントに「30代半ばで職種転換はムリ、サービス業に絞るべき」と言われた。
…で、メーカーだけど、「サービス業をやる」という前職に入社することになった。
サービス業ではない会社で「サービス業をやる」というのは、“苦行”以外の何ものでもなかった。。
入社2年後くらいから、この会社の本業の手伝いをやりはじめ、デザインとか採用とか、経験の無いこともやる事になった。
7年後、サービス業を撤退する時に「退職」を申し出たが、引き止められた。迷ったが「目の前の安定」を選んだ。
結局、ここでサービス業を手放した。。 それから採用担当やら、関連性のない他の仕事を半々くらいして、散々、振り回された挙句、6年後、、母の手術立会いのため、有休届けを出した途端に転籍して「営業」へという話が…。
49歳で未経験の営業。。 「そこで頑張れ」という話ではないことは、誰でもわかる。
家庭状況という足元をみて、「今でしょ!」と“とどめ”を刺しにきたか。。
それでも「裏切られた」とは思わない。この末路も予想していたし、そういう“やり口”も痛いほど身にしみている。
わかっていて何の対策も打たず、ここに至ってしまったのだ。自分の危機管理力の無さを恥じるべきだ。
「どこで間違った…」というより、「間違いだらけだなぁ」、、 だからどんどん“中途半端”になってしまった。
実はこの時「営業」を「やってもいいかな?」と少しだけ迷った。
それは以前、採用担当の仕事で、打ち合わせに来た人材紹介会社の担当と、ついて来たベテランの“経営コンサルタント”に私が営業職募集要件や会社の説明をしていると、突然コンサルタントが「あなた営業に向いてますよ、それもトップセールスになれる。あなたが営業をやるべきだ。」と言い出した。 「はぁ? 私、営業なんてやったことないですよ。」と言ったが、「そんなの関係ないです。私の勘ははずれたことがない。」と自信満々に言われたことがあった。。
すっかり忘れていたが、この出来事をふと思い出したからだ。。。「意外な才能があるかも??」
しかし、さらに「中途半端」になってしまう。。 何より期待もされていない。やはり出て行くことを決意した。
退職して、もう半年経ったが。。 一向に先が見えない。そろそろ目先を変える必要がありそうだ。
とはいえ、「これから、どうしたものか?」
そんなことを思いながら、帰宅して、引き出しの中から写真の「射撃の的」を見つけた。
27年前、、前々職の内定研修で、ホノルルマラソンに出場した後、気が進まないながら同期の連中と実弾を撃ちに行った。
初めてだったが、なかなかの名射撃だ。。「good!」ってサインしてくれた。
…なにか意外な才能ってないものか?? (宮本)
雨のせいか空いていたので、待ち時間もほとんどなく、帰り道。続けて1時間歩いたので、汗と雨でぐしょ濡れになった。
少々惨めな気持ちで歩きながら「どこで間違えたのだろう…。」とふと考えていた。。
経歴書には長所のひとつとして「人当たりがいい」と書いている。周囲からそう言われて来たし、実際、少ないながら面接してくれた人もそこは認めてくれている。 しかし、社会人になろうという時の自分はそうではなかった。。
新卒でサービス業に入ったが、アルバイトも工場ばかりで人と接することは避けていた。
就職後、店へ出てはじめて「アレ? 何で接客業やってんだろう?」と思った。。
入社してしばらくして、自分よりは2つばかり年上くらいの若い女性がファッション雑誌を持って、私のいるレジに来た。
見ると、裏表紙が折れてしまっている。「少々お待ちください」と言って、売り場からきれいな同じ雑誌を持って来て交換して渡した。その人は、パっと笑顔になり「ありがとう!」と言ってくれた。 …嬉しかった。
「サービス業は天職かも知れない。」と思った。
そこから13年経った。いろいろあった。。先日のブログ「最後の遠征」から、しばらくして会社を辞めた。
転職活動時「もうサービス業はごめんだ。。」と思っていた。
人材紹介会社のコンサルタントに「30代半ばで職種転換はムリ、サービス業に絞るべき」と言われた。
…で、メーカーだけど、「サービス業をやる」という前職に入社することになった。
サービス業ではない会社で「サービス業をやる」というのは、“苦行”以外の何ものでもなかった。。
入社2年後くらいから、この会社の本業の手伝いをやりはじめ、デザインとか採用とか、経験の無いこともやる事になった。
7年後、サービス業を撤退する時に「退職」を申し出たが、引き止められた。迷ったが「目の前の安定」を選んだ。
結局、ここでサービス業を手放した。。 それから採用担当やら、関連性のない他の仕事を半々くらいして、散々、振り回された挙句、6年後、、母の手術立会いのため、有休届けを出した途端に転籍して「営業」へという話が…。
49歳で未経験の営業。。 「そこで頑張れ」という話ではないことは、誰でもわかる。
家庭状況という足元をみて、「今でしょ!」と“とどめ”を刺しにきたか。。
それでも「裏切られた」とは思わない。この末路も予想していたし、そういう“やり口”も痛いほど身にしみている。
わかっていて何の対策も打たず、ここに至ってしまったのだ。自分の危機管理力の無さを恥じるべきだ。
「どこで間違った…」というより、「間違いだらけだなぁ」、、 だからどんどん“中途半端”になってしまった。
実はこの時「営業」を「やってもいいかな?」と少しだけ迷った。
それは以前、採用担当の仕事で、打ち合わせに来た人材紹介会社の担当と、ついて来たベテランの“経営コンサルタント”に私が営業職募集要件や会社の説明をしていると、突然コンサルタントが「あなた営業に向いてますよ、それもトップセールスになれる。あなたが営業をやるべきだ。」と言い出した。 「はぁ? 私、営業なんてやったことないですよ。」と言ったが、「そんなの関係ないです。私の勘ははずれたことがない。」と自信満々に言われたことがあった。。
すっかり忘れていたが、この出来事をふと思い出したからだ。。。「意外な才能があるかも??」
しかし、さらに「中途半端」になってしまう。。 何より期待もされていない。やはり出て行くことを決意した。
退職して、もう半年経ったが。。 一向に先が見えない。そろそろ目先を変える必要がありそうだ。
とはいえ、「これから、どうしたものか?」
そんなことを思いながら、帰宅して、引き出しの中から写真の「射撃の的」を見つけた。
27年前、、前々職の内定研修で、ホノルルマラソンに出場した後、気が進まないながら同期の連中と実弾を撃ちに行った。
初めてだったが、なかなかの名射撃だ。。「good!」ってサインしてくれた。
…なにか意外な才能ってないものか?? (宮本)
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