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私のヴォーカル列伝-Vol.4 - 人見元基

ついに4月になってしまった。。
消費税は上がるが、私の声の調子は例の絶不調+風邪(?)の後遺症で悲惨な状況から、なかなか上がって来ない。。
なんか落ちるところまで堕ちている。 こんな時は、“この人”の声が聞きたくなる。 人見元基先生である。

ハード系のヴォーカリストというと、私からみるとスゴイ人が多い気がする…。
しかし若い頃、結構ライブを見たが、そのままスゴイ人と、生ではそうでもない人がいる。
この人見元基は、まさしく前者であった。いい意味で“レコードのまま”もしくはそれ以上のパフォーマンスであった。

それほど見識が広くない私が言っても説得力がないが…、
この分野では、デーモン小暮閣下(色物と思われる傾向もあるが…)、稲葉浩志などは、野球の投手に例えると、150Km超の速球に多彩な変化球を持つ日本を代表するヴォーカリストである。
人見先生は、160Kmの豪速球をガンガン投げ込んで来るヴォーカリストという気がする。
そして日本ロック史上最高の男性ヴォーカリストは誰かと問われると、やはりこの人を推したい。
まずは、1曲。

演奏はVowWowのヴォーカル時代のものだ。
知らない若い人のために説明すると、まだジャパメタブームなど来るとは思いも寄らない1976年、山本恭司率いるBowWowがデビューした。
やがて1980年代、ジャパメタブームがやって来た。
1984年VowWowと名を変えた新メンバーとして迎えられたのが、人見元基とキーボードの厚見玲衣。
はじめて聞いた時は、衝撃だった。山本恭司氏は、バンドをまとめるのに手を焼いたそうだが、当時私が読んだ記事などでもブームに乗る他のバンドの言動などに歯に衣着せぬ言動もあったようだ。どこか孤高の存在でもあった。
当初は日本語の歌詞だったが、海外進出を意識したのか、英語歌詞となっていった。
それらのせいか、日本での評価より海外での評価の方が高かったそうだ。

1990年VowWowの解散とともに、人見元基は、商業としての音楽業界が嫌になったのか、一線を退いた。
「あぁもったいない」と思うが…。凡人が「あの人は今…」などと言って、一世を風靡した人に余計な心配をしているのと同じだった。。
この人、英語がうまかったはずで、実は東京外大出身で英語の教員免許を持っていたそうで、現在は高校で英語教師をされている。
「人見先生」は本当に先生だったのだ。歌以外にも立派なスキルを持っていたわけだ。
今も、時々、ナニワエクスプレスなどのゲストとして歌っていることはあるようなので、両方を生かす道に進んだとも言える。

その後、こういうのも歌っている。


この曲、私の記憶が正しければ、ギターは元マリノの大谷令文、キーボードは難波弘之。
何だかムダにパワーのあるF1カーで農道を走ってる感はするが、手を抜かないその歌声「先生さすがです。」(宮本)

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