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私の作曲方法

モーツアルトなかなかコロナ騒ぎも簡単には収束しそうにはないが…、
7月からは、私も会社へ出社することになり、わがトリックハウスも7月17日から
なんと5ヶ月ぶりにスタジオ練習を開始することになった。
15年もやってるし、まともな練習もできないような時期もあったので、このブランクも、それほど不安はない。

ところで朝ドラは「六甲おろし」「栄冠は君に輝く」「東京オリンピックマーチ」などで知られる古関裕而氏を描いた「エール」、もちろん大河ドラマもNHKの回し者ではないが、観ていて、両作品ともかなりいい出来なのだが、残念ながら、途中で放映がストップしてしまった。再開が待ち遠しい。
その「エール」での作曲シーンは、なんかピアノに向かうというより、デスクワークのように譜面を書いている。
また、その作品を評価する人も楽譜を読んだだけで、「いい曲だ」と言ったりしている。
プロとはそうなのか…。そういえば、私の好きな映画「アマデウス」でもモーツアルトの書いた譜面をみたサリエリが譜面をみて、ウットリしているシーンがあったな。。。
サリエリ私が曲を書き出したのは、まだ中学生だった15歳。
幼いころから楽器をやっていたわけではなく、入学式を演奏している吹奏楽部に感動し、野球部に入るつもりで丸刈りにしていたのに、吹奏楽部に入ってしまったので、その時点で楽譜も読めなかった。
楽典の知識はいまだにほとんどない。
むしろ、作曲については、アコギを弾き出して、当時、アリスとか、当時のフォークやニューミュージックが主体。
オリジナルキーで声が出なかったものの、コピーとは言えないけど、そういった曲を弾きつつ覚えたコード進行が私の源だった。

高校時代は、ギターを持って、それが最終1番になるか2番になるかはあったが、歌詞と曲は同時に書いていた。
歌詞とコードを書いた紙、ある程度、歌ったら、ラジカセの前で歌って、録音していたな。
高校時代、ロックなどいろいろ聞いていたが、基本、そういう作り方なので、バンドサウンドなどは程遠い。
大学に入り、音楽サークルに入っても、基本、同じだったが、ハードロックバンドを結成し、ギター担当になったことで、ギターリフから作ることも出て来たり、自分じゃないヴォーカルが歌うことが前提だったり、一応、メンバーへのデモとしてドラムマシーンを使ったりしたことで、自分なりには、クオリティーが変わったかなと思う。
そうなると、自分がヴォーカルのバンドの曲も変化を遂げた。

20歳代も同じく、そんな感じで、バンドメンバーに手伝ってもらったりしながら、デモ曲を創っていたが、30歳前後になりようやく、DTMを使い始めた。。残念ながら、そこからは、あまり大きく進化を遂げていない。
で、50歳くらいまでは、自分のソロアルバムを創るという体で、曲を創った。
そうすることで、12.3曲の中でバリエーションを出していこうとしたのだ。

仕事もしているので、曲を思いついた時と、曲を創れる時は、一致しない。
曲を思いついたら、スマホなどに吹き込むようにしている。
今から5、6年前から、コンペに挑戦するために曲を創るようになったので、出来はともかく、30~40歳の頃よりはるかに量産している。新曲の場合、1コーラスかDメロを含め、1コーラス半しか制作していないのがほとんどだが、今年に入ってからも既に12曲を新規製作、昔の曲の再アレンジも行っている。
今日もおおよそ、四半世紀前に創った曲を再アレンジしていた。。。あぁオリジナルキーで声が出ない。。

…なんだな、コンペ情報来てから、ほぼ1日半で、作曲、仮歌詞、アレンジ、録音をやっている。
そのせいか、昔の曲の方が、クオリティが高い気が、、スマホでAメロ、Bメロ、サビと別々に創ってるのもあり、なんかつながりがイマイチなのもある。

コンペでは、リファレンスの曲があるが、私は結構、サッと聞くだけにしている。
それでもいいのかな…とは思うが…、ちょっと今日、思ったのは、私は早くからオリジナルしかやって来なかったので、作曲におけるコード進行などのクセというのか、引き出しというのか、それが、前述のアリスとか、ニューミュージックで得たものしかない、あとはいろいろ聞いて吸収はしていると思うが、曲の構成やアレンジ、音質とか、研究などはほとんどしたことがない。。
このあたり、今さらだけど、ちょっとやってみようかな…と、2020年も半分終わった時に思った次第である。(宮本)

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