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1983年ライブ見聞録 ~前編~

ラウドネス前回ここで書いた1980年の「ロック五番コンサート」が私の歌手、バンドのライブ初体験だったが…。

その後、高校生の間、ちょこちょことLマガジンという情報誌の懸賞に応募し、「招待券」をゲットしていた。。。

当時、私の曲創りに大きな影響を与えてくれた小柴大造&エレファントをライブハウスに観に行ったこともあったが、それは自らお金を払って行ったものだ。

その後は、レインボーやらディープパープルやらアイアンメイデンやらにハマって行くのだが、

1982年の3月、高校2年生も終わりかけの頃にバンドのヴォーカルとしてはじめてステージに立った。

もちろん私が歌うのは、小柴大造先生。。。


この時、一緒にライブを行ったバンドのひとつがコピーしていたのが、レイジーやらラウドネスだった。

ラウドネスが、ファーストアルバムを出したのは、1981年11月とあるから、前述の私の初ステージは、1982年3月。…ということは、件の同級生のコピーバンドは、そのアルバムが出てから4か月後には、

そこから3曲程度をコピーして演奏していたことになる。。。

当時から自分たちより格上という意識はあったが…今、思えばたいしたもんだな。。


私が、ラウドネスの曲を聞いたのは、本物より同級生たちの演奏が先だったかと思う。

それでラウドネスを聞き、レイジーの「宇宙船地球号」も後追いで聞いたのだ。


ラウドネスというと、アースシェイカーを1980年に「もうハードロックは歌いたくない」と脱退した二井原実をヴォーカルに、元レイジーの高崎晃(ギター)、樋口宗孝(ドラム)、そしてゼファーというバンドにいた山下昌良(ベース)。1981年11月にアルバム『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』でデビュー。。


アースシェイカーのその時のメンバー(特に石原氏)は、、どう思ったのか???

(アースシェイカーのことは、次週、後編で語るとして…)


それはともかく、前身があったとはいえ、わずか1年でデビューアルバムを創り上げたのか…


当時、そんな経緯など知るはずもない私だが、、

このアルバムは、「日本にもついにハードロックの夜明けが来たのだ」と思った。。

もちろん、いろんなバンドが巷では活動していたのだが、、そんな情報は知るところではなかった。


そして、大学に入学し、しばらく京都まで片道3時間近くをかけて通学していた時、


おそらく多くのファンとは違い、アイアンメイデンといえばポールディアノのほうが好きだった私だが、そのヴォーカルがブルースディッキンソンに代わっても、ヘッドフォンで大音量で聞きまくっていた1983年の6月ころ。

新譜「頭脳改革」を聞いたあとから、原因不明の激しい頭痛に見舞われた。

しばらく、それでも通学していたが、、一向に良くならず。。


いくつめかの病院でようやく帯状疱疹ということがわかり、入院するハメに。。


約10日くらい入院後、「もう少し入院したほうが…」という医師を振り切り、退院した。

それは、ラウドネスのコンサートのチケットを買っていたからだ。。


そして、ラウドネスのコンサートに友人と2人で向かったのだが、

ずっと寝ていて、急に電車に乗ったり、歩いたりしたせいか、、気分が悪くなった。

なんとか友人に支えられるように会場へ。。


冒頭から総立ちになる盛り上がりだったが…。

私はついていけず、、、友人にも、「無理せず、座っとけ」と言ってもらい、イスを畳んで立て、そこに腰掛け、

座ってるのが目立たないようにしていた。

樋口宗孝のドラムソロ、、ベードラが腹に堪える。。


…が、いつの間にか、不思議なことに体の調子がよくなり、、

後半からは、ノリノリになり、すっかり回復した。ハードロック万歳!!


いやぁ、、これが音楽の力か???


学生時代、多くのコンサートを観たが、記憶に残るコンサートのひとつだった。。(宮本)


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