その認識ができたのは、30歳手前くらいだった。
私には弱点が相当多いが、その最たるものかもしれない。。
若いころは、ネットもなく、地図アプリとかがあるわけではなかったが、
なぜかコンサート会場などにそうも迷わず行っていた気がするのだが…。
前々職で、車で各店舗へ行かないといけなくなってから、
その“疑い”を持たざるを得なくなって来た。
ある神戸市か三木市かその辺にある店舗へ応援に行く際に、
先輩社員が、「少し用事を済ませてから行くから先へ行っておいてくれ」と言われ、
1人で自分の車で出発したが、どんどん景色が山深くなっていき、
「このままでは日本海に出るのでは?」と不安になったことがあり、
何とかたどり着いた時には、先輩がとっくに先に着いていて、
私は三木の山で遭難したことになっていた。
同じ会社で30歳を数年過ぎたころ、もうベテランの域。
社長から、後輩のバイヤー2人が、ある店を見に行くよう話をされていた。
不文律だが、そういう場合は、その日のうちに行く掟があった。
電車では行きづらいところだったが、2人とも車通勤ではない。
もう夜だ。「いっしょに行こうか?」と声をかけると、
2人とも助かったとばかり、「お願いします!」
「俺、めっちゃ方向音痴やけど、大丈夫?」(その頃には認識していた。。)と聞くと、
2人とも「僕らも方向音痴なんで大丈夫です。」で、安心して出発することになった。
…千鳥じゃなくても「ちょっと待て!」である。
それは大丈夫なワケがなく、案の定、泥沼にはまった。
2人の後輩もかなり不安になり、「宮本さん、並みの方向音痴じゃないですね」とか
最後には、私の人生の教訓ともいえる「迷った時は、いったんわからなくなった所に戻りましょう」
という名言まで生まれた。
そう、私は道がわからなくなったら、とにかく勘でどんどん進んでしまい、
もう何が何だかわからなくなる傾向がある。
今では、どこかに行く場合は、事前にネットで下調べをする。
地図アプリも使う。車ではカーナビも使う。(車では比較的マシになった)
地図アプリでは、それに従って歩いているつもりで、どんどん到着予定時間が増えることで
間違っていることにようやく気づく…という始末。
私に何が足りないのか??
会社の部屋で話していて、よく指を差して「○○の方で」とか言うと、
全然、別の方向を指していて、笑われることがよくある。
何かの建物に入り、出て帰ろうとすると、たいがい反対側へ歩き出す。
何回も行っている場所の道順を覚えられない。。
採用の仕事で学校を訪問することが多い。
年に2度、3度行く学校、もう6年以上行ってるのに、同僚を連れて行き、
サッサと歩いているとはじめての同行の同僚に「そっちじゃないですよ。」と注意されることも…。
なんでも方向音痴の原因は明確ではないらしいが、どうやら生まれ持って、何かが欠けている気がする。。
ひとつは、私が自身そう思っている「空間認識能力」説。
要するに、脳みその中で、何かが欠けている。
「知識の違い」説では、俯瞰図的なイメージを思い浮かべるサーベイマップ的知識のタイプの
人のほうが、「郵便局を右に曲がって…」のように移動中の自分の視点でルートを順に
思い浮かべるルートマップ的知識の人より、迷いにくいらしい。。。
…が、残念ながら、私にはその両方ともない。。
よく「目印を覚えろ」と言われるが、それもなかなかできない。
そして「社会的ラベリング」説
これは自分が方向音痴と思い込むことで、移動時に人に頼ることで移動能力が低下するというものだ。
確かに複数の人と移動する時は、人任せにしてるなぁ。。
私の感覚として、生まれつき能力の欠如が、間違いなくあると思うのだが…、
調べてみると、こういうコメントもあった。
「空間情報への注意の向け方に問題がある」
「方向感覚を生み出すために必要な行為を怠りなく行うかどうか」の問題というのだ。
確かに、「覚えようとしていない」というのもあるかも。。
その後の努力も足りないということか…。
全然、関係ないが、、歌詞も覚えんしなぁ。。。
ところで、一緒にあっちこっち同行していた同僚から言われたのは、、、
「方向音痴」というより、何度も行ってるとこで迷うのは、「記憶喪失」では??
う~ん、、、なんか全部思い当たる。。。(宮本)