身長はちょっと縮み、体重は昨年の健康診断以来の1年ぶりの最低値に持っていったので、、まぁやれることはやったのかと…(笑)
それはいいとして、娘の3週間に及ぶ発熱の原因が、血液検査や内科的検査を行っても判明せず、結局、光明池の病院に入院して、検査を行うことに。
そこから1週間を経過したものの、心臓をはじめとする循環器も以前の大腿骨骨折の治癒具合も含め、
まだ原因不明、、、この3連休は、土曜日の母の病院の付き添いも含め、病院通いで終わりそうだ。。
そんな中、病院へ向かう車中から観る景色がやたらときれいだった。
空気が澄んでると、こういう風に見えるんだな、、、少し感動。
病院の駐車場から観た青空もこんな感じ(画像)、、
その青空を観て、ふと思い出しのがこの曲。
私の小柴大造さんに次ぐ師匠である織田哲郎さんの「青空」
シンプルな曲だが、ノスタルジックでもあり、アジテーションぽくないのに元気になれる曲だ。
織田哲郎さんとの出会いは、意外にもShow-yaの1stアルバム(1985年)に入っていた「MADO」という曲。
地味目の曲だったが、とても気に入って、作曲者:織田哲郎が気になり、レコードレンタルで1986年に発売された織田哲郎の4thアルバム「LIFE」を聞き、どハマりした次第。同年大ヒットしたTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」以降、誰もが知るヒット曲を連発した。
ZARDの「負けないで」をはじめとした多くのヒット曲、相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」、大黒摩季「チョット」、B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」、中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」、WANDS「愛を語るより口づけをかわそう」「世界が終るまでは…」などなど、まだまだあるが、キリがないので、こんなもので。。
でも、これらのヒット曲より、「LIFE」以前の、ソロ作品のほうが、私は好きだ。
「青空」は、これらのヒット曲よりあとの1998年の作品。
どの曲にも織田哲郎らしさはあるのに、不思議とソロ作品と提供している曲にはどこか差異がある。。
織田哲郎は、その後の2000年にスペインで強盗に襲われ、背後からいきなり首を絞められ声帯を潰された上、
声帯まわりの軟骨も変形、元の声が出なくなってしまった。
「懸命にリハビリを続けても、シンガーとして人前で歌うレベルに回復しなかったが、
歌い方を変えて翌年のファンクラブのイベントで披露した際は感無量で涙が出たという。この事件以後、改めて歌うことへの情熱を思い出したという」とウィキペディアにある。
そして2022年。
1983年に亜蘭知子に作曲した「MIDNIGHT PRETENDERS」をカナダの大物アーティストであるザ・ウィークエンドがサンプリングし、
シングルとしてリリースした「Out of Time」は、同年1月22日付の米・Billboard Hot 100で32位を記録。
ヒットメーカーにしては、国内ではマイナーだった曲が時を超えて世界中でヒット。
それを受けて、自ら弾き語りをされている。
人も曲も、どこで何があるかわからないし、幸不幸が、どう巡るかもわからないものだ。。(宮本)