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私のヴォーカル列伝 -Vol.1- 町田義人

 あまりに音楽と関係ない話ばかり書いてしまうので、時々こんなネタを書いてみようと思う第1弾!
まずは、この曲をお聞きいただきたい!!


尾崎紀世彦が歌い大ヒットした「また逢う日まで」(作詞:阿久悠、作曲:筒美京平)だが、、
元々は別の歌詞で、エアコンのCMソングとして作られ、NGに。
その後、阿久悠が作詞し、「ひとりの悲しみ」として、「白いサンゴ礁」でヒットを飛ばしていたグループ、“ズー・ニー・ブー”が歌ったが、鳴かず飛ばずだったという段階が、これである。
この後、「また逢う日まで」というタイトルで歌詞も書き換えられ…、前述のような大ヒットになったのだが、

私とほぼ同年代の方、この声に聞き覚えはないだろうか?
(…って、もう答をタイトルに書いちゃってますが。。)

このヴォーカルは、後に映画「野生の証明」の主題歌「戦士の休息」を唄う町田義人なのである。
この人にはこの曲の後も「キタキツネ物語」や「宝島」などのアニメソング、ドラマソングなどのヒット曲はあるのだが…。もうだいぶ前から活動されてないようだ。

私が、生まれてはじめて買ってもらったレコードはザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」なのだが、私が中学3年生の時に自分で選んで小遣いはたいて買った最初のアルバムが町田義人「長距離ランナー」というアルバム(「戦士の休息」収録)だった。

「戦士の休息」自体は、ルパンや「人間の証明のテーマ」の作曲者でもある大野雄二大先生の作曲であるが、アルバム「長距離ランナー」は、町田義人が、作詞・作曲した曲がほとんどを占めている。

…で、私が影響を受けたのは、楽曲そのものというより、このアルバムが発売される時のFMでの町田義人の話であった。
ちょうど、この頃の私は、オリジナル曲を作りはじめたかどうかの時期であったが、中学校の吹奏楽部でさえ、落ちこぼれていた私にとって、本当は曲を作るなんてのは、すごい才能のある人が子供の頃から英才教育を受けてするもんだと思っていたのだ。。
このアルバムの頃に既に32歳くらいであった町田義人が「はじめて曲を作った」という話をし、「今まで作れるとも思っていなかった。」と語ったことは、当時の私には衝撃的だった。。

まだ15歳の自分なら全然、遅くないじゃないかと。。。
…で、私はここから、狂ったように曲を書き始め、道を踏み外していくのであった。。 (宮本)

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