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佐久間正英氏逝く

佐久間.jpg 最近、家内の生活スケジュールに従っているので、22時を過ぎると基本消灯時間となる。
昨夜、寝床に入ったものの、何となく気になってスマホをいじってると、、スキルス胃がんを公表していた佐久間正英氏死去のニュースが…。

 私が社会人になってから聞いたUP-BEATの2ndアルバム「inner ocean」が発表されたのは1987年。
今でもフェイバリットアルバムの1つだ。
当時は曲を作る仕事を志していたから、良い曲があれば演奏者だけでなく、誰が作曲し、歌詞を書いてるのかは、もちろんチェックしていたが、プロデューサーとか編曲者とかへの意識は薄かったように思う。
 私がこの人の名を知ったのは、それから2年後。
氷室京介の2ndアルバム「NEO FASCIO」を聞いて、これもすごく気に入ったのだが、プロデューサーだけでなく、ギター、ベース、キーボード(ドラムは“そうる透”)も担当し、ライブを思わせる冒頭のインスト“OVERTURE”の作曲も行なった人が“佐久間正英”だった。

そして、このアルバムのサウンドの“空気感”が先のUP-BEAT「inner ocean」に似ていると思い、見てみると、実は「inner ocean」も佐久間氏のプロデュースだった。
プロデューサーがいかにアーティストや作品に影響を与えるかを知った。

 残念ながら、私はプレイヤー時代の「四人囃子」とか「プラスチックス」はほとんど聞いたことがないのだが、プロデューサーとしては、BOØWY、THE STREET SLIDERS、THE BLUE HEARTS、GLAY、エレファントカシマシ、L'Arc〜en〜Ciel、HY、JUN SKY WALKER(S)などなど挙げればキリがないが、日本を代表する多くのバンドの作品に係わり、育てた人だ。

まだ61歳、残念だ。

↓ 佐久間氏についてまとめられているサイト(アマチュアバンドにも参考になる。)
http://matome.naver.jp/odai/2134088800632299001

佐久間氏自身のブログより、抜粋

「いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。」

「プロデューサーとしての仕事はそろそろ終わりかも知れない。ライブを出来る機会はいつになるか、もう無いのか。会いたい人たちにも会う時間が来る保証などどこにも無い。やりたいこと、やり残したことも山積みになってしまうに違いない。それでも人生ってまだまだ楽しく面白い。」

本当に死のギリギリまで、音楽と向き合った人だ。
多くの作品とDNAを受け継ぐミュージシャンは生き続ける。
やり残したことはあっただろうけど、きっと充実した人生だったのではと思う。死の間際、こういう心境でありたいものだ。

…時間を無駄にしてはダメだなぁ。。 (宮本)

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