さて、あっという間に5月である。ハァー。。
こんな夜は、この人の曲でどっぷり哀愁に浸り、朝は「青空」という曲を聞き、前向きな気分になりたい!
織田哲郎である。。ヴォーカルというより作曲家として、この人の曲を聞いたことがない人はまずいないだろう。
特に1990年代は、凄まじいものがあった。
ZARD、WANDS、相川七瀬、TUBE…から「おどるポンポコリン」、最近はAKB48まで…、 曲をいちいち挙げてたら、キリがない。
これらのキラ星のような大ヒット曲でも、どこかシンプルで奇をてらった曲があまりないのが特徴のように思える。
「おどる…」でさえ、曲だけ聞けば、そうなのである。
シンプルなのだが、どこか曲を聞くと「織田哲郎作だな、、」という独特の香りがある。
私が織田哲郎の名を知ったのも、意外なところからだが、作曲家としてであった。
1985年Show-Yaのデビューアルバム(1stは演奏力もまだ微妙な感じで、曲も“メタル”ぽいという程度だったが、楽曲は良かった。)に「MADO」という地味だが、哀愁漂う良い曲があり、作曲者が織田哲郎だった。
そして、レンタルレコード店(まだレコードの時代…)で、その翌年「LIFE」という織田哲郎自身のアルバムを見つけた。
1980年頃、織田哲郎&9th IMAGEというバンドで活動していた。
ギター北島健二、ベース松井恒二、サックス古村敏比古、ドラム小沼俊明、キーボード難波弘之など、錚々たるメンバーだ。
ちなみに小沼俊明は後にバービーボーイズに、松井恒二はボーイへ参加(これが原因で解散に…)、私が見た1986年末頃のソロとしての織田哲郎のLiveでは、北島健二、古村敏比古も参加している。
そして1983年にソロデビューして以来、「LIFE」(1986年)は、4枚目のアルバムだった。
私は、前述のキラ星のような曲よりも、織田哲郎のソロとしての2枚目「New Morning」(1984年)、3枚目「Night Waves」(1985年)、そしてそれらの完成形ともいえる「LIFE」あたりの曲がすごく好きだ。
そしてこの頃にはTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」で名が知れ渡りはじめていた。
では、そのアルバムから、、「週末に」をピアノライブヴァージョンで!!
アルバムでは北島健二がガツガツ弾いてる格好いいロックナンバーだが、このヴァージョンではヴォーカルとしての色気や情念が感じられる。
残念ながら、これらの曲はそれほどヒットしていない。もちろんヒット曲も良いのだが、なぜソロ作品の方が、私の心に響くのだろう??
最近になってようやく気づいたのは、ソロ作品は作詞も本人によるものということだ。
この人の歌詞が、私は好きなのだな。。 と思う。
では、動く哲っちゃんをもうひとつ! 1998年の作品で「青空」。この曲、元気になります!!
織田哲郎氏、2000年にスペイン滞在中に強盗に襲われ、声帯を痛めてしまい、声が出にくくなってしまい、
以前のようにガンガン活動はされていないようだが、、まだまだ健在!
ところで、ヴォーカル列伝Vol.3で書いた小柴大造氏により、バンドでの曲を書くことに目覚めた私ですが、20歳くらいからは、ギター担当として、ヴォーカリストのキャラを生かす曲、歌詞に取り組んでいた。
21歳も半ばくらいから、再び自分の想いを歌える曲も創ろうと活動を開始していた時に聞いたのが、織田哲郎氏。
おそらく学生の終盤から社会人以降の楽曲には、大きな影響を受けたシンガーソングライターである。
小柴氏の楽曲のイメージから、もう少し大人になった。。そんな感じかな。。。(宮本)
こんな夜は、この人の曲でどっぷり哀愁に浸り、朝は「青空」という曲を聞き、前向きな気分になりたい!
織田哲郎である。。ヴォーカルというより作曲家として、この人の曲を聞いたことがない人はまずいないだろう。
特に1990年代は、凄まじいものがあった。
ZARD、WANDS、相川七瀬、TUBE…から「おどるポンポコリン」、最近はAKB48まで…、 曲をいちいち挙げてたら、キリがない。
これらのキラ星のような大ヒット曲でも、どこかシンプルで奇をてらった曲があまりないのが特徴のように思える。
「おどる…」でさえ、曲だけ聞けば、そうなのである。
シンプルなのだが、どこか曲を聞くと「織田哲郎作だな、、」という独特の香りがある。
私が織田哲郎の名を知ったのも、意外なところからだが、作曲家としてであった。
1985年Show-Yaのデビューアルバム(1stは演奏力もまだ微妙な感じで、曲も“メタル”ぽいという程度だったが、楽曲は良かった。)に「MADO」という地味だが、哀愁漂う良い曲があり、作曲者が織田哲郎だった。
そして、レンタルレコード店(まだレコードの時代…)で、その翌年「LIFE」という織田哲郎自身のアルバムを見つけた。
1980年頃、織田哲郎&9th IMAGEというバンドで活動していた。
ギター北島健二、ベース松井恒二、サックス古村敏比古、ドラム小沼俊明、キーボード難波弘之など、錚々たるメンバーだ。
ちなみに小沼俊明は後にバービーボーイズに、松井恒二はボーイへ参加(これが原因で解散に…)、私が見た1986年末頃のソロとしての織田哲郎のLiveでは、北島健二、古村敏比古も参加している。
そして1983年にソロデビューして以来、「LIFE」(1986年)は、4枚目のアルバムだった。
私は、前述のキラ星のような曲よりも、織田哲郎のソロとしての2枚目「New Morning」(1984年)、3枚目「Night Waves」(1985年)、そしてそれらの完成形ともいえる「LIFE」あたりの曲がすごく好きだ。
そしてこの頃にはTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」で名が知れ渡りはじめていた。
では、そのアルバムから、、「週末に」をピアノライブヴァージョンで!!
アルバムでは北島健二がガツガツ弾いてる格好いいロックナンバーだが、このヴァージョンではヴォーカルとしての色気や情念が感じられる。
残念ながら、これらの曲はそれほどヒットしていない。もちろんヒット曲も良いのだが、なぜソロ作品の方が、私の心に響くのだろう??
最近になってようやく気づいたのは、ソロ作品は作詞も本人によるものということだ。
この人の歌詞が、私は好きなのだな。。 と思う。
では、動く哲っちゃんをもうひとつ! 1998年の作品で「青空」。この曲、元気になります!!
織田哲郎氏、2000年にスペイン滞在中に強盗に襲われ、声帯を痛めてしまい、声が出にくくなってしまい、
以前のようにガンガン活動はされていないようだが、、まだまだ健在!
ところで、ヴォーカル列伝Vol.3で書いた小柴大造氏により、バンドでの曲を書くことに目覚めた私ですが、20歳くらいからは、ギター担当として、ヴォーカリストのキャラを生かす曲、歌詞に取り組んでいた。
21歳も半ばくらいから、再び自分の想いを歌える曲も創ろうと活動を開始していた時に聞いたのが、織田哲郎氏。
おそらく学生の終盤から社会人以降の楽曲には、大きな影響を受けたシンガーソングライターである。
小柴氏の楽曲のイメージから、もう少し大人になった。。そんな感じかな。。。(宮本)
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