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私の女性ヴォーカル列伝 ~Vol.1 太田裕美

例の眼のピクピクは、施術4日後に止まったようなのだが、なんと表現していいのかわからない違和感があり、何だか不調。その上に今日は腹痛に苦しめられた1日であった。

であるが、明日は仕事なので、力を振り絞り、ブログの更新を。
「私のヴォーカル列伝」もvol.10までいったのと「レベッカ復活」にも影響を受け、少し視点を変えて“女性編”を新たに展開したい。

話は40年前くらいに遡る。
1975年12月。私が小学生5年生の時に、4枚目のシングル「木綿のハンカチーフ」が大ヒットした。
当時、太田裕美は20歳だった。私がはじめてファンになり、それを公言した女性歌手だ。
この曲がすごく好きだったわけでなく曲としては、半年後の次のシングル「赤いハイヒール」の方が好きだった。
マイナーとメジャー、テンポが展開する曲というイメージはその時から思っていたが、、
今回、改めて聞いて気付いたのが、この曲も「木綿のハンカチーフ」同様、男女の対話形式の歌詞になっているのだ。
…なるほど、二匹目のドジョウ狙いだったのか。。。



男女対話式の曲というと、“バービーボーイズ”を思い出すが、これらの曲をKONTAと杏子で演ると面白い気がする。
…ちょっと(かなり?)ドロドロした感じになるか。。。

それから、約6年後。
高校3年生の時に当時よく買っていた“Lマガジン”で当てた招待券で京都へ太田裕美のコンサートを見に行った。
当時は何かもうすごく“おばさん”のコンサートを見に行ったように思っていたが、まだ太田裕美さん、27歳だったのだな。

この時の太田裕美の清楚さや京都の街並みになんか惹かれて、京都の大学に行き、そこに住みたいと思うようになった。その意味では、私の人生に影響を与えたアーティストであった。

では、この人の曲で一番好きな曲(このあたりの楽曲は、ほぼ作詞:松本隆、作曲:筒美京平である。)「九月の雨」をお聞きください。



この人はもう60歳になったが、雰囲気の変わらない人だなぁ。

その京都の学生安アパートで数年を過ごした頃、なぜか浪人生が入居して来た。
かなり男前だったが、変わった男だった。頭がいいのか、イカれてるのか、、傲慢なのか、大物なのか、単に世間知らずなのか。。妙に懐いてくるものの、どこか大学生である我々を見下しているようなところもあった。
ある日、私が愛聴していた「太田裕美ベスト」のテープを「受験勉強」のモチベーションを上げるために、貸して欲しいと言って来た。
快く貸して上げたのだが…、、ある日彼は、突然姿を消した。…私の“太田裕美ベスト”と共に。。(宮本)

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