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歌メロの神様

拾う神ここ最近、父の認知症が進んだのか、食事を摂ろうとしなくなったので、選択の余地は限られていたが考えた末、金曜日に胃瘻の手術をしてもらった。
仕事で手術には立ち会えなかったので、土曜日の朝から様子を見に行き、いったん帰宅し、続けて娘の通院へ。

ちょっと疲れたので、仕事も音楽製作もサボリ、野球を観ながら居眠り。
いびきをかいていたそうで、起きると喉が痛い、、歌の個人練習もサボってしまった。。たまには、こういう休日も仕方ないか。。。

ところで、表題の件。
「よく歌メロの神様が降りて来る」とかいうけど、神様がいるかどうかは別として、ちょっと自分に「才能があるのでは?」と思ってしまうくらい浮かんでくることもあれば、ギターを持って、捻り出そうと思っても“それらしい”ものが何も出て来ないこともある。

そもそも、「作詞・作曲は誰にでもできる。」と私は思っている。何気なく鼻歌でも歌えば、もう曲を創っているのだ。
問題はそれを自分の中に受け入れ、形にするかどうかだ。
そこを突き詰めると、編曲をする人が職人的な技術、知識、センスを必要とすることを思えば、昨今の作曲の評価が、編曲の能力とセットになってしまったのも当然の帰結かもしれない。
単純に作詞・作曲の良し悪しというものがあるとすれば、結局、どれだけ多くの共感者を得ることができるかという事に尽きるのではないかと思う。
…と書いたものの、どことなく、そして何一つ釈然としないが…。

では、私にはいったいどういった時に「歌メロ」の神様が降りて来るのだろうか??
少なくとも、「今日は10:00~12:00で歌メロを書くぞ」というように計画通りにできるものではない。
よく歌メロを思いつくのは、電車に乗っている時、街を歩いている時、風呂に入っている時、、
案外、“上質”のものができるのは、寝床で起きる寸前にまどろんでいる時。
起き上がって来ても口ずさめる時もあれば、夢だったのかと思うくらい、すっかり消えている時もある。

昔は歌メロの録音メモを録らなかったので、忘れては浮かび上がり、やがて頭の中で固定したモノだけが曲になった。
ただ今は、固定化できなかったり、浮かんでいる時に曲創りに取り掛かれるわけでもないので、録音メモを録ることもある。
だがしかし、メロが浮かぶのが、電車の中だったり、街であったりだとできないし、寝起きの声では後から聞いても、そのメモがとても役に立つモノではなかったりする。 なかなかに道は険しい!

確かに言えることは、「曲を創る」という意思をもって、歌メロ(鼻歌)を思い浮かべ、それを形にしよううとする意識が必要だ。
もし才能というものがあるとすると、金が絡まないアマチュアの場合、その一銭にもならないことに、「馬鹿らしい」とか「何になるの?」とか思わずに、どれだけ取り組めるかどうかだと思う。(楽器の演奏力、歌のうまさ、アレンジ力などは、また別の話である。)

曲創り35年にして、気づいたことがある。1人でいる時は、電車や歩いている時、ipodで音楽を聴いている。
単に聞きたいからでもあるし、曲創りの勉強にもなると思っている。
しかし、、聴いている最中には、歌メロの神様は決して降りて来ない。「音楽を創るには音楽を遮断しなくてはならない。」のである。
ここで名言 「Lose music to make music.」by宮本 …なんで、今まで気づかなかったのだ。。。(宮本)

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name.. :記憶

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